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全サービス業共通 商売哲学編

PHILOSOPHY 

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【特別講義】全ての人がもって生まれる悪意なき残虐性とは何か 殺戮 いじめ 差別 虐待を無くしたいなら人の性を知ることである

 
 

プロローグ

 
 
私が行うセミナーや講義プログラム内で、人間に対する様々な話題が好評を頂いておりました。そこで以前から、リクエストがあったものを特別講義に致します。
 
先にお断り致します。私は、いじめ解決のセミナーやコンサルティングは行いません。
 
私が直接行うことよりも、受講されるあなたが原因に気づき、あなたのできることから実戦することの方が尊いからです。
 
今まで私のセミナーを受けた人達同様に解決策を知れば、自分の子をいじめから救えます。職場でもいじめを無くせます。そして、無用の差別さえ無くせるようになります。
是非、そうなって頂ければと思います。
 
 
 
 

特別講義

 
 
 
それでは、特別講義をはじめましょう。
 
 
最初にあなたに質問します。
 
あなたは、なぜ「いじめ」や「差別」、そして「虐待」が無くならないのか分かりますか?
 
戦争がはじまる原因は、その都度違います。しかし、殺戮が増していく感情は、「いじめ」や「差別」、そして「虐待」と同じ心根から生じています。
心は一つのため、感情が生まれるところも重なるのです。
 
 
学校の先生が、子供達に、いじめは良くないこと、止めましょうと言ったとします。ところが、すべての子供は、いじめが悪い事は、皆知っているのです。
 
それでも無くならない。その無くならない理由を突き詰めないままでいるから、無くならないのです。
 
そして、いじめは子供の世界だけで無く、大人になってもあるのです。
いじめに似た現象にパワーハラスメントがあります。パワハラも、心根は一緒です。
 
それを、本講義で深く考えて頂ければと思います。そして、解決策まで実施して頂けたらと願います。
 
 
 
それでは実際にある話から進めていきましょう。
 
 
児童相談所の職員が、SOSを出す子を救えなかったというニュースが複数ありました。
 
救えない理由は、児童相談所の職員の能力が低いからでも、対応が悪いからでもありません。
では、なぜ救えないのか。それは、児童相談所の職員は虐待を受けて育っていないのです。そのために、自分事になりにくいのです。
 
虐待の怖さや辛さは、頭では理解はできる。しかし、実感ができない。
これは、止むを得ないことですが、軽視できない厳しい現実なのです。
 
仮に、虐待の経験をもつ人が児童相談所の職員になれば、応対は違うはずなのです。
 
これは、児童相談所の職員だけの話ではなく、学校の教師にも言えることです。
学校の先生になる人は、最高学府出身でなければ就けません。最高学府に入る為には、劣悪な環境下で育つ人の方が少ないでしょう。
 
そして、根の深い問題があります。それは、学校の先生のほとんどが学校しか知らない。そして、社会を情報でしか理解していない。そのため、実社会の現実を体感ができないのです。
すべてが想像で始まり、想像で終わる。これが、根の深い問題という理由です。
 
教師になろうとする人は、子供の頃から真面目な人が多いでしょう。
強制されなくても、勉強をコツコツ行い。一定の理解力と学習意欲があったからこそ、最高学府を出て教職員免許を取得されたのです。
 
その結果、勉強ができない子がいる。いじめを受ける子がいる。こうしたことは、知識として理解はできる。ところが、なぜ存在してしまうのかが、実感ができない。そのために、何年経っても、学力差を無くせず。いじめも無くせないのです。
 
だからといって、教師が悪い。あるいは教師のレベルが上がっていないとは言えません。
学校の先生の仕事の大変さは、大人になってから分かることの一つと思います。
先生を責めるだけでは、何の解決にもなりません。
 
もし、あなたが教師なら、私の言葉に不快な感じを抱くかも知れません。その際は、少し我慢して受講してください。
 
教師の悪口を言っているわけではありません。もし、本講義で解決策を見出せれば、明日から何をすれば良いか分かるはずです。それこそが、大事なことではないでしょうか。
 
教師の大変さは承知しています。そのため、指導方法論に関しては、指導者育成基本編の講義で改めて行います。
 
 

 
 
 
 
それでは、改めて講義内容に入ります。
 
 

人間は頭で理解できても、実感できないことがある。

 
 
実感できないからこそ、いじめも虐待も差別もなくならないと言ったら、あなたは絶望しますか。
 
実感できなくても、あることに意識さえすれば、解決の糸口は見つかる。
それが本講義内容の目的です。
 
 
あることとは、「全ての人がもって生まれる悪意なき残虐性」です。
 
 
 

「全ての人がもって生まれる悪意なき残虐性」とは何か?

 
 
 
もし、あなたが虫も殺せない人柄なら、自分に残虐性などないと思うでしょう。無理はありません。
 
今ここでいう残虐性は、暴力をふるうような分かりやすいイメージとは違うのです。
だからこそ、気づかない人が多い。そして、通常の生活では自覚せずに、皆生きています。
そのために、いじめも差別も虐待も無くならないのです。
 
「全ての人がもって生まれる悪意なき残虐性」について説明する前に、あなたに深く考えて頂きたいのです。そこで日頃、目にすることで例を出しましょう。
 
 
スーパーマーケットで、牛肉や豚肉、鶏肉を買ってきて、台所で調理します。
フライパンで、これらの肉を焼いて食べることに、何か疑問が生まれますか。
 
いきなり今、このような質問をすると、恐らく私が何を言っているのかさえ、分からないかも知れません。
 
それでは、次はどうでしょうか。
 
犬や猫をフライパンで焼いて食べるとします。何か疑問が生まれますか。疑問が生まれるどころか、考えることすらない。気持ち悪いことを言うなと怒る人もいるでしょう。有り得ない話しだと、誰でも分かります。
 
しかし、同じ動物の肉です。では何が違うのか。この違いに、気づくことが大事になります。
 
 
それでは、例を変えましょう。
 
豚肉をフライパンで焼いて食べる。何の疑問も生まれない。疑問と言うより、胸が痛まないといった方が、適しているかも知れません。
 
そこで、想像してください。
 
小学生のあるクラスに、生まれたばかりの子豚を飼育させたとします。
子供達は、代わる代わる子豚に餌をやり、檻を掃除し、子豚を可愛がり世話をしました。クラスのアイドルのような存在になりました。
 
そして、成長し大きくなった子豚を、皆で食べようと教師が言ったら、どのような反応を子供達がするか。想像がつきますか。
 
恐らく泣き出す子もいるでしょう。
嫌がる子供の方が多いと想像がつくのでは無いでしょうか。
 
なぜ、スーパーマーケットで買った豚をフライパンで焼いて食べても胸が痛まないのに、飼育して育てた豚を食べようとすると胸が痛むのか。
この違いにこそ、解決するための重要なヒントがあるのです。
 
この違いを深く考える人達がいないからこそ、いじめや差別、虐待がなくならないのです。
 
 
 
私が「全ての人がもって生まれる悪意なき残虐性」とは何かの答えを言う前に、改めて想像して、じっくりと考えてみてください。
 
 
同じ生き物でも、保護対象になる生き物と、駆除対象になる生き物は、何が違うのでしょうか。
 
例えば、飛び出してきたゴキブリは、殺虫剤をかけようと思います。
ところが、同じことをキレイな蝶にはできない。
ではなぜ、できないのでしょうか。
 
 
海洋生物でも保護しようとする生き物と、漁獲することに抵抗がない生き物があります。
いったい何が違うのでしょうか。
 
これらの違い。
誰でもが知っているようで、実は深く考えることが少ないのです。
 
 
 

牛や豚、鳥はプライパンで焼けるのに、なぜ犬や猫にはできないのか。

 
これらの違いを子供に教えることができないからこそ、いじめや差別もなくならないのです。
 
 
例をだしましたので、「全ての人がもって生まれる悪意なき残虐性」についてお話しましょう。
 
 
「全ての人がもって生まれる悪意なき残虐性」とは、無関心のことです。
ただし単に興味がないという無関心とは、微妙に意味が違います。
 
そこで言葉を換えると、
 
人間は、自分が感情移入でき、愛着が生まれる対象には手厚く情をかけられます。
しかし感情移入できない、あるいは感情移入しない対象には、いかに残虐、残忍でも胸が痛まないようにできているのです。
 
 
これが、「全ての人がもって生まれる悪意なき残虐性」の正体であります。
 
 そして、いじめは悪いと分かっている子供が、いじめの加害者になっている自分に気づかない原因なのです。
 
社内のパワーハラスメントも、部下のために厳しく指導しているとは聞こえが良いのですが、深く心根を観察すれば、部下に対する情が希薄なだけのことが多いのです。
 
その証拠に、厳しい指導だけでフォローをしない。
そして、部下の感情を酌めないために、追い詰めすぎてしまうのです。
 
いじめやパワーハラスメントで他人を自殺に追い込めるのは、相手に情や愛着が湧いていないため、これ以上行ったら、相手が可愛そうだという惻隠(そくいん)の情が、いつになっても生じ無いのです。
 
 
惻隠の情を人間は、本能的にもって生まれます。惻隠の情とは、相手の悲しみや苦しみを我が事のように感じて、可愛そうだと感じる心持ちです。
 
捨てられている猫の鳴き声が悲しそうに聞こえたり、転んだ人を見て助けたり、お腹の空いた人に御馳走したりする。こうした自分事ではない辛さを、自分事のように感じることができる能力が、人間にはあります。
 
ところが、この惻隠の情が、まったく発動しない場面があるのです。
 
 

「惻隠の情が発動しない場面が、人にはある」
これこそが、悪意なき残虐性の正体であり、人間の恐ろしさである。

 
 
では、悪意なき残虐性が人には、なぜあるのか。
あなたは、考えたことがありますか。
 
 
悪意なき残虐性が人にあるのは、生き物である人間にも、自然界にある食物連鎖のような本能的な部分が残っているからと思われます。
 
他の動物の命を犠牲にすることをためらっていては、生きられないことを、人間も本能的に知っている。この感覚が、潜在意識に残っているから、「惻隠の情が発動しない場面がある」と、感得しています。
 
生きとし生けるものは、命を犠牲にすることで自らの命を繋いでいるという宿命があります。
これは良い悪いで語れるものではなく、自然の厳しい現実であります。
 
ところが、生きるためだけに殺生する他の動物と異なり、生きる目的以外でも殺生することができるのが、人間です。
 
戦争もはじまる原因は様々です。
しかし殺戮が増す時点では、敵国の人間に愛着がないために、殺しても胸が痛まない。
それどころか、自国の民を守るためという大義名分で正当化し、自分の心を守る術すら人間は持っているのです。人間の真の恐ろしさは、悪意以外からも生じるという点です。
 
ただし、人間が生来残忍の塊ということではありません。しかし、無自覚だと「全ての人がもって生まれる悪意なき残虐性」に、気づかず生活してしまうのです。
 
そして、
「悪気なく加害者となる恐れは、誰にでもある」ということです。
だからこそ、けっして軽視してはいけないのです。
 
この事を子供の頃に、親や教師が教えないことが、今尚いじめも差別もなくなっていかない理由だと言えます。
 
 
あなたは、今、何を感じておられますか?
 
「全ての人がもって生まれる悪意なき残虐性」の正体が分かってしまえば、理屈は誰もが理解できる簡単なことです。
今、改めてあなたもお気づきになったのではないでしょうか。
 
 
 

 
 
 
しかし本題は、ここからです。
 
 
では、「全ての人がもって生まれる悪意なき残虐性」の正体を知った上で、いじめや差別、虐待、そして会社内でパワーハラスメントを無くすには、どうすれば良いのか。
 
発生原因の理屈を知るよりも、その解決策の方が遙かに大事になります。
恐らくあなたも同じ考えではないでしょうか。
 
 
具体的な施策は、あなた自身が、独自のアイデアを出すことが正解です。
仮に失敗したとしても、成功するまで挑戦する。それが実践的であり、長い目で見たとき、必ず正しかったと思える日が来ます。
 
 
しかし、そうは言っても私がどうするのか言わないまま終わると、不安に感じる方もいるでしょう。
 
そこで、最も私が必要だと思うことを、いくつかお話しましょう。
 
 
 

「全ての人がもって生まれる悪意なき残虐性」は、
相手に感情移入しないことで生まれる。

 
 

原因が分かれば、この原因を逆手にとって、対象に感情移入できるように仕向ければ良いのです。 
 
特定の人とだけ仲良くする環境を、しばしば意図的に管理者が変えて上げるのです。
ただしタイミングを軽視しないことも重要です。
 
悪い例としては、会社の人事で異動を頻繁に行うことです。異動が頻繁に起きても、男性は適応できる脳を有している確率が高いですが、女性は少ないのです。女性にとってルーティンは男性が考えるより遥かに重要なのです。
そのため、状況やタイミングを見誤ると士気低下が生じます。
 
注意することがあるということを踏まえて、以下をご覧ください。
 
 
学校であれば、仲間外れを無くそうと言うだけではなく、仲間外れができないよう、イベントを活用するのです。これを意図的に教師が仕掛けるのです。
 
その時に、最初に忘れてはいけない心得があります。
心得というよりテクニックとも言えます。
 
これは、クレーム応対でも応用がきく考え方でもあります。私がセミナーでマインドシェアの法則と呼んでいるものです。
 
大嫌いと思っている人は、絶えず心の中を占有している割合が多い。気になるということは、そういうことです。
ところが、大嫌いと思っていた人に、こんなにも良いところがあると、気づいてしまうと、どうなるでしょうか。
 
心の中の占有率があらかじめ多いため、リバーシゲームのように大嫌いが大好きに一瞬で変わることがあるのです。【link:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)参照』】
 
 
この現象が人間にはあります。
その証しに、第一印象が悪かったにもかかわらず結婚した夫婦がいるのは、この現象があるからなのです。
 
そこで、私は第一印象が悪くても心配ない。いつでも挽回できると、営業マンには話します。
 
人間は、どうしても好きか嫌いかで無意識に他者を識別しています。
そして、好き嫌いの対象にならない人は、無関心となります。
好き、嫌い、無関心、この三つの領域を心の中で瞬時に作るのが、人の心の特徴です。
 
そのため、子供達を放置していると仲の良いグループが自然とできあがるのも当然のことなのです。
 
また第一印象が悪く、何となく友達になることを拒むという心理があっても、これもまた自然なことです。
 
しかし、この自然に生じる心理を、教師が意識的に変えて上げる。もし、いじめを本気で無くそうと思うなら、仲の良いグループ分けが際立たないように仕向けることが、教育の一環として非常に重要になるのです。
 
 
マインドシェアの法則を事前に知っていれば、仲の悪い者同士をあえて一緒にさせても、恐れることはないのです。無論、最初は揉めるでしょうが。
 
しかし、雨降って地固まるということが、現実にはあります。
 
そこで、最初は揉めるだろうということを事前に把握し、どのタイミングで相手の良さに気づかせるかを見計らうのです。
それが、教育的配慮ということではないでしょうか。
 
 
そこで、具体的にどうすれば良いか。これは、子供社会と大人社会では、実施方法に違いがあります。
 
 
大人の場合の好例があります。それは最近、上司部下同士、社員同士、互いに褒め合う研修をする会社がありますが、実に良い試みだと思っています。
 
会議や社内イベントで、社員が集まるとき、全参加者が、一人一人徹底的に褒め合う時間を作ります。
 
これが有効なことを、哲学編の講義を受講した方はお気づきでしょう。
 
人間は、他者に認められることが何よりも嬉しいのです。この本能を利用することで、仮に最初は社交辞令程度の表面的な褒め言葉でも、あえて続けることで、双方の脳はいい意味で錯覚をおこしてくれます。
 
自分を褒めてくれる人には、感情移入しやすくなるのです。
褒めてる側も、褒める箇所を見つけようとする行為で、無意識に相手に親近感が生まれるのです。
 
この心理現象を利用することで、職場内の不和改善にも効果があることが、既に弊社では分かっています。
 
互いの良いところを、全員が一人に対して褒め合うことは、子供の世界でも有効です。
 
しかし、褒めると言うことは、けなすことより遥かに難易度が高い。実は褒めることは難しいのです。
なぜなら、軽々に褒める言葉は、すべて嫌味に聞こえるからなのです。
 
そして、男女では脳内の情報処理の違いで、褒め言葉自体にも違いがあります。だからこそ、日頃から実施することはコミュニケーションの訓練にもなるのです。
 
また相手が喜ぶ褒め言葉を、瞬時に出せる訓練は、接客業にとっては、実践的訓練を兼ねます。一石二鳥とも言えます。
 
褒め方が下手な人は、人間観察能力が実は低い。
 
そのため、洋服や髪型、装飾品等々、外見上のことしか褒め言葉を見つけられないのです。
褒めてるつもりが嫌味になってしまう。このことが接客中にも出るのです。
 
セールスやマーケティング能力の低さは、実は観察眼の低さから始まっているのです。
 
 
学校の場合は、事業中に褒め合う時間をとることは難しいです。
では、どうすれば良いのか。
 
文化祭や体育祭、修学旅行等の学校行事が、利用できます。
 
 
昨今、競争させないことが美徳と思われているのか。
体育祭で競争種目がなくなっていると聞いています。
それが良いか悪いかは一概に言えませんが、一つ大きなデメリットがあります。
 
生徒を競争させないデメリットとは、現実を教えることができないと言うことです。
 
社会に出て競争がないなら、子供の頃から競争させなくても問題ありません。
しかし、負けることを学ぶということも、実は大事な教養になる。これもまた現実です。
 
社会に出れば、好むと好まざるとにかかわらず、競争に事実上巻き込まれている人の方が多い。その現実に耐えられるように育てないで、生き抜く力をどこで養うのか。真剣に考えなければなりません。
 
子供にとって養うべき大事な能力は、学習能力だけではありません。
子供達が最も育む必要が有る能力は、挫折に強く、最後の日まで生き抜く力です。
 
 
競争に勝つことを教えるために、子供達に競争させるのではありません。
競争で負けても挫折しない心を学ぶのです。
そして、最後の日まで生きぬく気力を養わせる大切な訓練こそ、競争です。
 
 

他人に負けることは、人として恥ではない。
己に負け、他人の所為にして、人の道を外すことが恥なのである。

 
 
この現実に気づかせる機会が子供達には、いつの世も必要になるのです。
 子供達から生きぬく力を奪うことが、教師の務めでしょうか。
 
 
勝って喜ぶ子にかける言葉は、賞賛しかありません。賞賛なら誰でもできる。
しかし、負けて泣く子にかける言葉は、たくさんあります。
この時こそ、教師の腕の見せどころではないでしょうか。 
 
 
さらに子供達には、競争させて単に勝ち負けを体験させるということ以上に大事な教えがあります。
 
 
例えば、文化祭で、裏方の担当になりスポットライトがあたらない生徒がでる。その生徒の保護者から、うちの子を、なぜ表に出さないかとクレームを言われたら、あなたは何と説明しますか。
 
 
私が現場にいた際、何人もの芸能人を接客してきて学んだことがあります。
裏方がいるお陰で、今の自分がいると思う人の方が、芸能界で長く活躍しておられるのです。
 
世の中は、全ての人が主演になるわけではありません。また、助演の方々がいるお陰で主演が引き立つということもある。そして、演者だけでは作品はできません。
 
エンドロールに名前しか載らない。あるいはエンドロールに名前も載らず社名だけという方々が大勢います。それで成り立つのが社会です。これは、芸能界だけでなく、どの世界も同じです。
 
一般企業でも、すべての人が社長になれるわけではありません。
大手企業などは、大勢を集め、次期社長候補者を育成しているところもあります。無駄なことにはなりませんが、ただし社長だけ育てようとしては機会損失になると言っています。
 
10人集めても、1000人集めても、社長になれるのは同世代で一人だけです。
他の方々は、社長に選ばれず終わったでは、実に勿体ない。
 
指導者育成プログラムで、私が重要視していることがあります。
 
それは、社長を育てると同時に、命に逆らいて君を利することができるブレーンを育てることです。
そうすれば、裸の王様をつくらずに済むと言っています。
寧ろ、社長を育成するよりも、側近教育の方が大事かも知れません。
 
 
厳しい現実を子供達に教えることも、社会人になるための大事な教育です。
現実を学ぶということが、大事な訓練なのです。
 
 
本講義の前に差別と区別の違いを行ったのも、物事は見方、捉え方で変わるからです。
 
だからこそ、指導する側が正しい判断基準をもち、一部の保護者から異論反論が出ても、正論で論破できる生き方やプライドを有していないといけないのです。
それができない者が、軽々に人を教育する立場になってはならない。
 
前の講義でも、平等公平は権利や法の前にはあっても、自然界にはないとお話しました。この厳しい現実を踏まえ、いかに助け合って生き抜くか。ここにこそ、大勢の人間が共に生き抜く醍醐味があるのです。
 
走ることが遅い子がいても良い。
背の低い子や背の高い子がいても良い。それは共に個性であり、現実です。
 
世の中には様々な人がいる。
勉強が得意な人がいる。
勉強が苦手な人もいる。
人それぞれの個性があるということは、善くも悪くも差が生れるということです。
 
この差を認め、尊重する。
「差こそ、個性の証し」ということを学べる機会を無くす事を教育と言うのでしょうか。
 
今こそ教育する側が深く考えないのは、実に悲惨なことです。
この認識が、改めて必要な時代になったと思います。
 
 
 

清濁併せもち、人間は未熟なまま死に至る生き物である。

 
 
 
したがって、必ず欠点や弱点を誰しもがもって生きています。それを互いに補い合うことで、調和をとる。それが、人の世の現実です。
 
だからこそ、補い合うことで生じる喜びを、教育する側は意図的につくってさえ上げれば、チームワークも良くなり、自然と仲間外れも無くなります。
自分以外の人間に対する感情移入の機会を増やせば、増やすほど、当然いじめの加害者を出すことも減っていくのです。
 
 
ラグビー日本代表チームが、なぜ生活を共にしているか分かりますか。
 
意思疎通は「言語」だけ通じれば、とれるわけではない。彼らは経験的に知っているのです。
以心伝心は、言語だけで生まれるわけではありません。
 
学校の生活も、一緒のクラスにいて同じカリキュラムを受ければ、友達として意思疎通できているなどと軽々に思ってはいけないのです。
 
感情移入できる対象を増やすイベントを、管理する側がつくる。そのアイデアを出すことを悩み続け、実行するのです。必ず状況の違いを実感できると思います。
 
 
 
では、既にいじめられているという人は、どうすれば良いのか。
そう思われた方もおられるでしょう。
 
これは、年齢性別によって対応方法が少し違います。
 
ただし、共通しているのは、いじめられる原因は、大きく二つあることを先ず知ることです。
 
 
一つ目は、ある特定の組織内で協調が無いために目立ち、それが原因でいじめられる人がいます。
 
ところが、この方の場合は、自覚し改善する。あるいは、転校、転職等で属する組織の環境が変われば、いじめられなくなるということがあります。
 
 
二つ目は、発散しているエネルギーのために、いじめられる人がいるのです。
 
恐らくはじめて聞かれるのではないでしょうか。
 
もし、発散しているエネルギーが原因で、いじめられる人が側にいれば、実践編の雰囲気改善の講義を真剣に学んでください。あなたが要点を掴んで頂ければ解決できます。私の話を聞き解決されたと御礼も、既に言われています。
 
塾生には、自分が発散するエネルギーを、その場で切り替える方法を伝授するつもりでいます。
しかしながら、商人道義塾のWeb公開はできません。その理由は、事故防止のためです。詳しい理由は、改めて雰囲気改善の講義でお話ます。
 
 
発散しているエネルギーのために、いじめられる。これは非常に厄介です。
なぜなら、いじめられる側に落ち度は無いからです。誰も好き好んで、いじめられやすい雰囲気を選ぶ人はいません。
 
では、なぜ発散しているエネルギーが、いじめられやすいのか。
 
今ここで私が説明しても恐らく今の段階では、何のことか分からないでしょう。ここでは長くなるので実践編で改めて語ります。
 
15歳以下の子供用、16歳以上の人用に参考になる、いじめられにくい体になる方法の例をいくつか出す予定です。
 


(※ お詫び申し上げます。新型コロナウイルスの流行により、上記の方法例を公開できなくなりました。なぜなら呼吸の仕方等をかえる訓練と、散歩の仕方等行動変容が必要になるからです。したがって、感染防止の観点から控えます。コロナ禍が終息後に、改めて公開方法を再検討します。何卒御容赦ください 


 
 
他方、いじめる加害者側も、救済が必要なのです。
 
大人の場合、いじめる加害者は心的余裕がないことが多いのです。
いじめる加害者ほど、他者を受容する力が弱い。そのため、人の不手際や欠点が気になってしょうがないのです。
 
許す力は、誰しも心的余裕が必要です。心に余裕が生まれない原因を、第三者が見つけてあげることが解決の糸口になります。
 
 
 
子供の場合は、いじめる加害者は、いじめられる子供と同じぐらい慈しみが必要です。
いじめっ子が複数人いる場合は、リーダー格の子に原因があることが多いです。
 
いじめる加害者になる子というのは、生来性根が意地悪なのではなく、他者を攻撃すること、他者をいたぶることで、実は自分自身を癒している可能性があります。
 
自らを無意識に癒さずにいられないということは、どこかで当人が別人から傷つけられている可能性があるということです。
したがって、いじめる加害者も救済するべき存在なのです。
 
いじめる加害者の苦を取り除く。いじめられる子供を救済するより難しいということも恐らく多いはずです。
 
だからこそ、子供達には、正しい見識の大人が側にいないといけないのです。
それが、あなたであることを、私は願っております。
 
 
ここでは長くなるため、多くを割愛しますが、一つだけ捕捉します。
 
虐待を行う親には、二つのケースがあります。
一つは、虐待ではなく体罰だと認識し、躾の一環だと考える親。
このケースは、親の価値観や考え方の問題になるため、介入が難しいです。
 
その一方で、虐待する親のなかには、単に暴力を振るう親と切り捨てられない人達がいます。
虐待する親自身が、自分の親との関係性が良くない。あるいは、虐待する親自身も、虐待され育っている可能性があるのです。
 
だから、親という姿を正しく学習して育っていない。そのため、我が子との間合いも上手くとれないのです。
 
この場合、子を親から引き離すだけでは解決しません。
これを多くの人が頭の片隅に置いて頂ければと願っています。
 
虐待する親の中には、親自体が救済の対象ということがあります。
 
本来なら、他人の子でも殴るなどできません。たとえ大金を貰ってもできないはずです。
それができる心根を、是非思いやってあげて欲しいと願います。
 
子育ての苦労、生活の苦労、そうした様々な心理的ストレスを誰にも相談できず、苦しんだ先に無意識にしている虐待があるのだとしたら、この負の連鎖を止める方法は、周りの人達の慈悲深い温かみある支えです。
 
 
 
 
 
 
いじめ問題、各種ハラスメント問題、原因も事象もケースにより違います。
一つ言えることは、いかなる状況下でも、人間関係不和には解決策があることを分かった上で、本講義をお話しているということだけ忘れないで頂きたいのです。
 
理想や、きれい事を話しているわけではないのです。
 
自分の会社の従業員、自分が受け持つ生徒達に、いかに感情移入できる対象を増やしていくか。絶えず心において施策を考え、実行し続ける。これが王道です。
 
「全ての人がもって生まれる悪意なき残虐性」の正体を自覚し、回避する要点さえ認識できれば、商人道義塾の講義を受けたいと思ったあなたなら、必ずや良いアイデアが生まれます。
 
人間は本来、他人のためになることが好きなようにできています。
 
したがって、他者のためにどうすれば良いのかと、悩めば悩むほど良いアイデアが出るようにもなっているのです。
 
その証拠に、世のため人のためにと考えることが嫌いで、大発明家になる人は、この世にはいません。
 
 

ひらめきは直観よりも、その多くは世のため人のためと思う心根から出でる。

 
 
この事実を知ることこそ、商売成功のアイデアを出す秘訣でもあるのです。
 
 
あなたの周りから、無用な差別、無用ないじめが無くなることを願い、あなたがいることの意味がますます重くなるよう願っています。
 
 
これで、特別講義を終わります。
 
 
 
 
 

良いアイデアを出す簡単なコツは、世のため人のためと考えることである。
自分のためにアイデアを出そうとする者は、必ずアイデアが枯渇し絶望する瞬間が訪れる。

 
 
 
 

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