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未来への道標となった御仁から何を学ぶか?

 
 
 
 
 

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未来への道標となった御仁から何を学ぶか?

 


 
 

 オンライン講演 第一部

 
 
 
新型コロナウイルスの有事に際し、講義を一時中断しておりました。
その間、お目にかかる方々からご質問を受けました。
 
山口さんは岡田卓也さんについては話されませんが、好きではないのですかと尋ねられました。
好きか嫌いかと問われれば、理屈抜きに岡田卓也氏という御仁が、私は好きです。

ただし、四日市の呉服店を年商2兆円以上の大企業に育てた立身出世の成功者だから好きということではありません。
この点は、多くの皆様の見解とは異なるかもしれません。

コンサルティング業を始めた際、右も左も分からない中で、私が最初に考えたことがあります。
「私のノウハウに加えて、いかなる御仁をロールモデルにして人を導けば、間違いがないのか」ということでした。
 
その中で、日本国内だけでなく海外を含め、何人もの方々がロールモデルになりました。

ここでは、小売業界から代表的な方々を挙げます。
 
お一人目は、ミスター サム・ウォルトンという御仁です。
人は世知辛く、ストレスの多い社会の中で生きなければならない現実があります。その中で、ミスター サム・ウォルトンのような御仁が増えれば、多くの買い物客が、一時でも生活の辛さを忘れられる場が増える。
 
買い物とは単にグッズを買うだけで無い。同時にFeelも手に入れる事なのだと言うことを身をもって示せる人が、サービス業界に増えれば、多くの人が楽しいと感じる世の中になるに違いない。
 
 
お二人目は、伊藤雅俊氏という御仁です。
伊藤雅俊氏のような御仁が増えれば、子供から老人まで誰もが安心して買い物ができる世界になる。
 
伊藤雅俊氏のような御仁の生き方を学べば、安心安全の基は、売り手と顧客の信頼関係を重んじる誠にあることが分かる。これを築ける人が増えることは、社会にとって何より尊いことになるに違いない。
 
 
そして、岡田卓也氏のような御仁が増えれば、誰もが公平なチャンスを得られ、人を粗末にしない社会になるだろう。互いに尊重し合うその先に恒久平和という人類が長い間待ち望む世界も姿を現す。
 
そして、売り手の誠が強ければ、客の足下を見るなどあり得ない。有事の時こそ、岡田卓也氏という御仁のような方は、市民にとってこれほど有り難い存在はない。
 
 
以上の方々が、私が最初に、サービス業界でどういう人を育てるべきか。その指針になった人物です。
 
岡田卓也氏という御仁も、そのお一人であります。
したがって、私が嫌いなはずがありません。
 
 
 
その上で、私が思うことを正直にお話しましょう。
 
岡田卓也氏という御仁から学ぶことは、確かに多々あります。
 
しかし、多くの人が思う以上に簡単には真似ができない。
だからこそ、あえて商人道義塾では取り上げていないのです。
 
サービス業は実践実技の世界、「わかる」と「できる」は違う。この考えが念頭にあるからです。
 
実戦実技の世界では、わかっただけ、知っているだけでは意味がないのです。できる様になって事を成す世界だからです。
 
岡田卓也氏という御仁の考えや生き方を学ぶことは、簡単です。
しかし、頭でいくら正確に理解しようとも、心と命の動かし方を実践的に真似ることは容易なことではありません。
 
 
この理由を話すまえに、物事を見る視野を広げるため、一つ例を出しましょう。

あなたも、一緒に想像してみてください。

教師や親が、子供に想像力を育もうと思い玩具を与えたり、絵本を読み聞かせたりすることは、よくあります。
しかし、本当に子供の想像力が高まる瞬間は、寧ろ全く異なる環境下が多い。
 
 
例えば・・・、
 
親がいない子供が、寂しさを紛らわす為に、幸せな日々を想像するとき。
 
貧困の子供が、空腹状態を紛らわす為に、たらふく食べている自分を想像するとき。
 
七転八倒の苦しみの中、唯一想像力を使うことで一瞬、それらの苦しみや悲しみを忘れさせてくれるということがあります。
この感覚を経験的に知っている子供が、この世にはいます。この子供の想像力と、何不自由なく育てられた子供が玩具や絵本で培った想像力では、比較にならないほどの差があるのです。
 
勿論、個人差がありますから、100パーセント断定的に言えません。それでも幼少の頃苦労したことのある人なら、私が今言っていることが納得できるのではないでしょうか。
 
あるいは、L・M・モンゴメリの代表作、『赤毛のアン』が好きな人は、今私が言うことをよく表現されている物語だということに気づいたかも知れません。

※(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)参照』

 
幼少期は教育よりも、体験が修養にとって大事な要素になる。そして、その後の人生を大きく左右していることがあります。
 

この例えに似たことが、岡田卓也氏という御仁にもあるのです。
 
それでは、私が「岡田卓也氏という御仁の考えや生き方を学ぶことは簡単にできても、心と命の動かし方を実践的に真似ることは容易なことではない」と言った理由をお話しましょう。
 
 
岡田卓也氏という御仁は、物心つく前に父を亡くし、子供の時に母まで亡くしています。

このような生い立ちで、尚且つ多くの人が出入りする商家に生まれた人というのは、独特の育ち方をします。
 
店の番頭さんはじめ、店員さんから身内のように可愛がられる。そして、近所のおじさんやおばさんからも可愛がられる。見ず知らずのお客さまから可愛いねと言われ、お小遣いや御菓子をもらったりもする。
 
これらは、私の想像ではありますが、商家の子なら容易に想像がつくでしょう。
 
こうした環境下で育つ子は、どこからが身内で、どこからが他人か。この区別が曖昧で育つのです。

これは、味わったことの有る人しか分からない独特の感覚です。理屈では全く理解できません。
 
平たく言えば、多数の人が出入りする家で育つと、一般的な人がいう赤の他人という感覚が、心の中に生まれないまま育つのです。
 
このように育ってきた岡田卓也氏という御仁と、「知らない人から声をかけられてもついていっては駄目」と育てられた子供では、比較にならないほどの差があるのです。
 
幼い時から猜疑心を育まれた子と、世の中には優しい人の方が多いと感じながら育った子では、人との向き合う時の間合いに比較にならない違いがあるのです。
 
この現象は、経験し自ら味わったことが無いと想像すらつかない大きな差です。
 
サービス業のように実践実技の世界は、武道同様、接客時に人との間合いが大事になるのです。

商品が売れない人、顧客から人気の無い人というのは、よく観察すると顧客との最適な距離感が掴めない人達なのです。
 
意識的、無意識的問わず、猜疑心が先に立つ人は、他人との間合いが遠い。
ところが、猜疑心が先に立たない人は、相手が悪い人だと気付くまでは警戒がない。そのため、絶えず他人との間合いが近い。
 
自分と他人との間合いが近いという感覚こそ、商売で最も役に立つ感覚なのです。
 
 
人類皆兄弟という感覚をもち、身内他人の区別が曖昧で、赤の他人は、この世にいないという感覚で他者に接する人がいます。

この人に、身内と他人を明確に分ける習慣をもつ人が、接客業で歯が立つわけがないのです。
 

私が、常々言っていることがあります。
それは、「名君は、天自ら育む」です。

偉人といわれる人には、国内外問わず、親のいない人が多い。
あるいは貧困で育った人が多い。
 
現実的な言い方に変えれば、「自らでは選択できない艱難辛苦を味あうことこそ、最良の教育」となります。
 
ただし、艱難辛苦で得た経験値を己の教養に変えるためには、ある条件があるのです。
 
条件とは、己に降り懸かる艱難辛苦には、全て必要な意味があると捉え、都度の艱難辛苦に対して「感謝」しながら、乗り越えなければなりません。
したがって、言葉で言うほど容易なことではありません。
 
なぜなら、自らに降り懸かる艱難辛苦を、少しでも恨めしいと感じたならば、その瞬間、艱難辛苦は、未来への肥やしにならず。不平不満や嫌悪を生み。人の道から外れる機会ともなるのです。苦労に負けるとは、このことです。
これは、人間界の厳しい現実であります。
 
親のいない子は、自分にはギュッと強く抱きしめてくれる母、肩車をしてくれる父がいない。通常なら誰も気にしないような些細な事柄から、周りの友達と自分は違うことを悟ります。
 
ひもじい状態の子は、駄菓子一つ自由に買えない。友達が食べているところをじっと見ているということも珍しくない。あるいは、流行っている玩具や漫画を買って貰えない。

周りの友達とは違うことで、自ら置かれている厳しい現実を実感します。
この己と他者との違いから、否が応でもアイデンティティーの基ができる。自我を意識する思春期になる何年も前に、否が応でも自覚させられます。
しかし、この厳しい現実の自覚こそ、将来トップリーダーになる人にとって重要な感覚になるのです。
 
己の意志では避けることも、選択することもできない艱難辛苦は、いかなる修法、修行、訓練を遥かに勝り、人格を高める最良の肥やしになっているのです。
これは歴史を見ても、事実が証明しています。

しかし、誰も好き好んで親のいないところに生まれたいとは思いませんし、貧困がいいと思う人も居ないでしょう。私自身も貧乏は好みません。

貧乏は人として恥ではありませんが、不自由です。また、自暴自棄になるきっかけにもなる。素直に、そう思います。

もう、あなたにもお分かり頂いたかも知れません。
岡田卓也氏という御仁の真似は、頭で考えるよりも遥かに難しいことなのです。
 
現在、サービス業で従事する殆どの人は、岡田卓也氏という御仁とは境遇が異なるはずです。
だからこそ、岡田卓也氏という御仁から学んだ方が良いとは安易に言えないのです。
 
学びたいと、いかに正しい情報を集め、何十時間も頭で考えたところで、岡田卓也氏という御仁のようにはなれません。
 
そのため、商人道義塾の講義で取り上げても、知識以上にはならない。それでは実戦実技の世界では意味がない。それが、今まで私が一切語らなかった理由です。
 
しかしながら、そうは言っても、全く学ぶ必要がないと言い切ってしまうと、勿体ない点も多くあるのも事実です。
 
ここまでご覧になって頂いたので、せっかくですから、岡田卓也氏という御仁から学ぶべきことを、私の感覚でお話しましょう。
 
ここでは、ビジネスマンとしての手腕は、私以外からも学べると思いますので、割愛します。
 
 

 

岡田卓也氏という御仁から学ぶべき点は、いくつもあります。
しかし、一つ一つ話をすると時間がいくら有っても足りなくなるので、ここでは重要な点だけ、三つ話しましょう。
 
 


 

1、
トップリーダーになるためには、手段と目的を分けて観ることが必要である。これができて、物事の本質に気づく。本質に気付くことで、いつの日か真理を悟れることになる。

 

2、
岡田卓也氏という御仁は、「聖人は、九族を親しむ(LinkIcon言志四録)」の見本中の見本。

※(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)参照』 

 

3、
岡田卓也氏という御仁から学ぶべき点を、一つだけ挙げよと言われたら、私が答えるもの。
これこそ、サービス業従事者が大事にしなければならないものになる。

 


 

一つ目は、簡単なレベルからはじめましょう。
 
最初にあなたに質問をします。一緒に考えてみてください。
 
岡田卓也氏という御仁は、八十歳を過ぎても、国内だけではなく、海外へもボランティア活動で木を植えに行かれます。
では、その活力は、どこから生まれると思いますか?

さぁ、いかがでしょうか。
「木を植えるのが好きだから」と答えたなら、話になりません。
 
あるいは、地球温暖化対策、環境問題改善のために。この程度の回答でも話になりません。
 
確かに、地球温暖化対策のために行っていることは、間違いは無いでしょう。
しかし、この程度の回答では、八十歳を過ぎても生まれ続ける活力源について正しく回答していることにはなりません。
 
八十歳を過ぎて地球温暖化対策が必要と思っている方々は多いでしょう。
しかし、自ら国内外へ木を植えに行けますかと問われても、もう、私はこの歳だから気持ちはあっても気力がありません。
これが、一般的な感覚ではないでしょうか。
 

もう一歩踏み込んで話しましょう。

地球温暖化対策、環境問題改善のためにする。この程度の回答で話にならない理由は、次のクレームに、まったく応対ができないからです。
 
「木を植えるぐらいなら、大型店舗を郊外に作るな!」

「木を植えるぐらいなら、貴社の役員は、ガソリンで動く自動車での通勤を明日から廃止しろ!」

「来月から全ての社員の移動は、電車あるいは電気自動車に替えろ!」etc.
 
 
もし、上記のクレームが代表電話にかかってきたら、あなたなら速やかに円満解決へと導けますか。

もし導けると思った人は、既に私の質問の正しい回答を有していることになるでしょう。
 
お客さまからのお申し出、即ちクレームといわれるものには、その内容により応対難易度が異なります。
 
ほとんどの人達は、パートタイム職員、正規社員問わず、激高系や、恫喝系のクレームが最も難易度が高いと思っています。
しかし、それらよりも、難易度の高いものが、いくつもあります。
 
その中で、最高難易度と私が話しているものが、上記にあげたような内容です。
 
これらを、「正義のクレーム」と呼んでいます。
 

100パーセントお客さまがおっしゃることが正論であるクレームが、実際の現場にいるとあります。
 
この正義のクレームを、応対ノウハウの無い人が毎日受けると、多くの場合、担当者は病院に通うようになります。それだけ、非常に応対が難しい。
なぜなら、上級管理職ですら簡単に即答できるクレームではないからです。
 
商人道義塾の塾生には一人残らず、この最高難易度の「正義のクレーム」を円満に解決できるようになって頂きたいと私は思っています。

だからこそ、サービス業は実戦実技の世界と言いながら、哲学編から時間を割いているのです。
 
正義のクレームを円満に解決できるようになるテクニックはあります。しかし、テクニックがあっても、応対する側の心身にパワーがないとテクニックだけでは、相手のパワーに負けるのです。
 
正義のクレームに負けない心身を有するためには、職業人としての誇りを強くしなければなりません。誇りが単なる自尊心であれば、正義のクレームに、担当者の心身は勝てません。
 
職業人としての使命感を有している真を得た誇り。言い換えれば、日々の業務の中で正しく育まれた矜恃でなければ応対ができません。
 
強い矜恃が、自分の心身を守る見えざる鎧になってくれるのです。
別の言葉で言えば、人と接する仕事には「気構え」が必要なのです。
 
気構えが無い人は、軽装で雪山を登るのと同じ。いかに危険な事か、例えると分かりやすいと思います。
ただ、これを教えてくれる人が、ほとんどの会社にいない。それが現状です。
 
 
 
岡田卓也氏という御仁も、木を人力で植えても、地球温暖化対策のためには微々たるものだということは、当然ながら分かっているはずです。
 
重要なのは、微々たる効果であっても、やり続ける理由。ここに「目的」があるのです。
 
自分が木を植えることで、その恩恵があるのは自分自身ではなく、自分がこの世からいなくなった後の世界。そのために、木を植えているのです。
自分のためではなく、今の子供達に、少しでも良い地球を残したい。
その「志のために木を植えている」のです。
 
自分の心と命を、社会幸福のために使い切る。この使命感こそ、自分の存在意義を強め、自分が、この世に存在した喜びになるのです。この理屈ではない、本能的に湧き上がる喜び、これこそが、八十歳を過ぎても動ける活力の源なのです。

木を植えることは、「手段」であります。

環境汚染対策に木を植えることより良いことがあれば、そちらに迷わずシフトする。
 
目的を正しく理解している人間は、柔軟に手段を選択、あるいは改変できる。
これが、後進にとって大事な心得なのです。
 
「手段」と「目的」を見誤ることがないようにする。
手段と目的を見誤れば、手段に固執し、目的を失うこと、よくあります。例えるなら、植える本数に固執し、元々の植える目的を忘れるのです。
これが、始祖亡き後、始祖の教えから外れる原因です。
 
大事なことは、手段と目的の違いを教えられる人を、いつの時代も、必ず組織におくことです。
 
 

良い未来は、夢や願望が作るのではなく、志が創る。

 
 
これを自分の人生を通じて証明してきたのが、岡田卓也氏という御仁だと、私は思っています。
 
だからこそ、たとえたった1本の木であっても、志さえ正しければ、必ず将来、世の中のためになる。そして、良い志は、自分が直に会わない未来の人々を感化する。
それが、木を植える目的であります。
 
 
会社の経営も、志が先。志があるから、どの方向に舵を取れば良いかが見える。そして何より、社員達を、どこに連れて行くかが明確になる。だからこそ、皆を鼓舞できる。
 
私が大企業の上級管理職の方々と話して最も違和感があることは、目標が前年同月比でプラスかマイナスかという話題に重きを置いていることです。
 
上級管理職にとって最も考えねばならないことは、自社をどのように発展させるか。
そして、従業員をどのように成長させていくか。数値目標よりも、先に志を立てるべきなのです。
 
なぜなら、志無き数値目標は、儲かれば何でも良いに通じる。この意識が、ややもすると不祥事の種となっているのです。
 
営業成績を上げるために不正を働く人を分析すると、もっともな言い訳をする一方で、志がないのです。そのため、大義も使命も生まれない。
だから、元々は善良であった人が、いとも簡単に魂を悪魔に売るようになるのです。

私が言うことを理解できない幹部のいる会社は、有事に弱い。経験的に感じています。
 
だからこそ、トップリーダーを志す人は実務経験を通じてリーダーとしての生き方を若い頃から学ぶべきなのです。

それを岡田卓也氏という御仁から学べる。これが、一つ目です。
 
 
岡田卓也氏という御仁が、素晴らしい素晴らしいと賞賛するだけでは、質がない。レベルの低い話で終わってしまいます。

そこで、講演らしく、あなたに一緒に考えて頂きたいのは、これからです。
志とは何から生まれるのか。あなたは日頃、心において生きておられますか。

そして、志と野心とは何が違うのか。この違いを分かっていない人が、大きな失敗をしています。
 
志の心根には、公益があります。平たく言えば、世のため人のために生きるという意識があって志になります。
 
それに対し、野心の心根のほとんどは、私益であることが多い。怖いのは、日頃から意識していないと、志と野心を混同してしまうことです。

そのため、大きな失敗をしてはじめて、自分の考えは志ではなく野心だけだったと気付くのです。
 
野心で動くリーダーに、人望があることは少ない。志あるリーダーに、多くの誠ある人は従う。これが、最終的に真の組織力になる。歴史からも分かることではないでしょうか。
 
 
そこで、あなたに、もう一度尋ねます。

志とは、何から生まれると思いますか。あなたらしい回答で構いません。
 
 
その上で、お話をします。
 
志は、人生観から生まれてきます。
人生観、これが志の生みの親になるのです。
 
では、人生観を高める方法とは何か。

人類史上でみると、人生観を高める方法は、大きく二つあります。
 
一つは、神仏の教えを人生観の礎にする方法です。
 
もう一つは、先人や、尊敬する人物、哲学書等々を手本にして己の価値観を強固にしつつ、人生観をつくる方法です。
 
 
いずれの方法を採ることが正しいとは言えないと私は感得しています。
したがって、あなたに、いずれの方法が良いと勧めることはありません。
 
問題は、あなたが、どのように人生観を高めるか。その方法が大事です。

注意が必要とすれば、トップリーダーとしての生き方においての人生観は、普遍性がなければなりません。
 
尚且つ、人生観は、考えても考えても生まれることはありません。

日々悩んでこそ、苦しみを得てこそ、心の深い部分で生まれてきます。そして、己に課せられた天命を意識し、それを実行する使命感が伴ったとき、人生観は大きく成長をはじめます。その結果が、志に現れるのです。
 
心の表面的に生まれてきた人生観や志は、ほとんどが願望や野心です。区別がつきにくいのはこのためと思われます。
 
さぁ、あなたは今日からいかに人生観を高めますか? 是非、大いに悩んでください。
 
あなたが悩めば悩むほど、苦しめば苦しむほど、近い将来、必ずあなたの周りの人達は今以上に幸福になります。
 
 

岡田卓也氏という御仁から学ぶべき二つ目は、「聖人は、九族を親しむ(言志四録)」の見本であることです。

 

簡単に言えば、あなたの子が幸せになるように、孫が幸せになるようにと思うなら、自らの生き方を正すことが、子や孫を教育するよりも、遥かに正確ということです。
 
この理由を、実際にあった店を例にしましょう。
 
 
大正十年のある地方の店舗のお話です。
 
従業員五十人ほどのお店です。今で言えば、パートタイム職員を含めたスーパーマーケットぐらいの規模でしょうか。
 
このお店、通常では考えられないお店でした。なぜなら、店員五十人の規模で食堂、浴室、病室が完備されていました。しかも、大正十年です。関東大震災より前の話です。
 
しかも驚くことに、資本金十万円に対して、店員の持ち株比率も決めていました。ストックオプションという言葉がある今とは違うはずです。
このお店と同じことが、今できるでしょうか。
 
あなたの周りに、このお店と同等規模で、同じことができる会社やお店を知っていますか。
 
では、なぜこのお店が、現在でも難しいことができたのか。この理由こそ学ぶべきことの一つなのです。
 
このお店の店主の心根には、従業員は使用人ではなく、世間様からの預かり物という感覚があるのです。

この世間様からの預かり物という感覚が、社員教育の原点なのです。
 
そして、「店は、店員が正しく育てば自ずと発展する」という考え方に、実体験を通じて行き着いているのです。
 
そして、何より優れた考えだと私が感じたのは、世間様からの預かり物という感覚があることで、経営者が慢心しないで済むことです。
 
とかく雇用している側の心理は、人を使ってやるという傲慢さが生まれやすい。
この傲慢さが、最終的に従業員の士気低下を生み。従業員が自らの力を発揮しない土壌を生みます。
 
これが、致命的な販売不振の原因になる。それが、商売の世界です。
 
ところが、預かり物という感覚のため、従業員を大事にする感覚も手厚い。店の制度をつくる際も、自然と血の通った制度になってしまいます。
 
このため、従業員は店に感謝するどころか、恩義を感じるようになる。これが、結果的に従業員自身の力を最大限発揮する土壌になるのです。
 
従業員を活かすということは何か。経営者が考えるまでもなく、従業員は世間様からの預かり物という感覚を有するだけで、自然と人を活かす環境になっていくのです。
 
これが、私が言っている「人の本能を味方にする経営」であります。

この大正十年に実際にあった店の店主こそ、
岡田卓也氏という御仁と小嶋千鶴子刀自の父親なのです。
 
そして、お二人の父親の祖父もまた立派な大人物です。
 
「安く仕入れたものを蔵に保管しておいて、売れるときに高値で売るようなことをしてはならない。そんなことをすれば、一時は儲けが出ても、商人としての信用を失う」と店で働く従業員に教える大人物だったのです。
 
この教えこそ、「上げに儲けるな、下げに儲けよ」の家訓として、今尚残っているのです。
 
目先の利益を優先するのが商人ではない。お客さまから信用されることを優先するのが商人。岡田屋の四代目は、商人の見本中の見本であります。
 
岡田卓也氏という御仁と、小嶋千鶴子刀自という大人物も、深く学べば偶然生まれてきたと思えないほど、先祖代々連綿と良い生き方をしてきているのです。
 
見逃せないところは、岡田卓也氏という御仁は、父親の面影を知らない。
知らなくても、後々に自分の父親が、いかに正しい経営をしていたかを学ぶ出来事がありました。
 
子は、親の姿形、言動でない部分からも大事なものを学んでいるのです。

サービス業は、プライベートを犠牲にする職業です。子供の記念日や学校行事にも参加できないことの方が多い。我が子に否が応でも寂しい思いをさせる職業です。
しかし、親が四六時中一緒にいることよりも、自分の親は世のため人のためになっているという実感の方が、何よりも子供の精神的成長に必要なのです。
 
子供にとって良い親とは、四六時中一緒にいる親では無く、自分の親は世の中のためになっているという実感がある親なのです。
 
子供を正しく育てる上で、最優先すべきことは、教育環境でも、一緒にいることでもない。親が子の誇りに成り得るか。この点であります。
 
もしあなたが、自分には誇れる親がいないと感じたなら、悲しむことはありません。

あなたから変われば良い。あなたが、初代になれば良いのです。
 
もし、あなたに誇れる親がいるなら、是非感謝だけでなく、形に表して親孝行すると良いです。墓石に、いかに高価でキレイな花を飾ろうが、話はできないのですから。
 

もし、あなたが我が子に寂しい思いをさせていると思うなら、その思いは事実でしょう。
しかし、寂しい思いをさせている分、自分は世のため人のためになっているという自負をもてば良い。それがあれば、将来、必ず我が子にあなたの良さは通じる。
 
そして、単に親の良さが通じるだけではないのです。我が子の人生の軌道を安定する源も作っている。このことを忘れないでください。
 
私が言うことが、仮に今分からなくても、将来必ず正しいことが分かる時がきます。心配はいりません。
 
 
私がサービス業のコンサルタントをはじめた頃、山口さんがSERVICEを訳すとどういう日本語になるかと尋ねられたことがありました。即答できなかったのを覚えています。

私は考えた末に「積義余慶(しゃくぎ よけい)」と意訳しました。
 
積善の家に必ず余慶あり(易経)という言葉を、サービス業では、義の方があてはまるだろうと考え、言い換えた造語です。

※(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)参照』

 
積義余慶という理由と意味するところは、哲学編の講義を終了すれば分かります。

なぜ積義余慶と意訳したのか。その理由を、あなた自身が体験して頂くよう願っています。
 
そして、もう一歩踏み込んでお話しましょう。
 
聖人は、九族を親しむとは言いましたが、これはあくまで方便です。
この世には、血のつながりの無い親子もいます。

養子であったり、連れ子がいる再婚家庭であったり、事情は様々です。
 
自分達の家族は血のつながりがないから、「聖人は、九族を親しむ」という具合にはなれないと諦める必要は、毛頭ありません。
 
氏より育ちという言葉があるように、血縁よりも家庭環境が勝るときがあるということです。血は繋がっていなくとも心根が繋がっている親子というのが、現実におられます。

これは、気休めでは無く事実です。
 
多くの子供を世話していると、誰でも先天的な性質があることに気付きます。
 
しかし、いかに先天的な性質が良くても、劣悪な環境下では覚醒できないということもあるのが、人間です。
したがって、生まれた後の環境で、人はいくらでも挽回できるのです。

同様に家庭も、互いに協力し合い良い環境をつくれば、いくらでも良い家族になれる。
 
血が繋がっていないことを気にするよりも、血縁に勝る掛け替えのない大事なものが、この世にはあると自覚できる家庭をつくる。これもまた尊いことであります。
 
 
良い師弟の関係を見れば、私の言うことも理解出来るのではないでしょうか。

血が繋がっているから、良い精神が伝承されるわけではないのです。
心が通じ合っているからこそ、良い精神は伝承されるのです。
 
心が通じ合う。それが良い家族の証しです。違うでしょうか。
 
 
 
 
 
最後の三つ目の話をしましょう。
 

岡田卓也氏という御仁から学ぶべき点を、たった一つ挙げよと言われたら、私が答えるもの。
 
それは、「平和」を重んじる心です。平和あってこその商売だと言うことです。

 
 
 
新型コロナウイルスの有事に誰しもが深く感じたのではないでしょうか。

安寧であるからこそ商売ができるという事実を、平時のときから噛み締めて生きる。これが尊いことです。
 
そうすれば、冷やかしの来店者に対しても、感謝が自然に湧いてくる。これが最も確実で、簡単にできるお客さまに困らない店になる秘訣です。
 
岡田卓也氏という御仁が戦後、店を再開した際、自らが作ったチラシを握りしめ、涙ながらに戦争が終わったことを喜んだお客さまがいたと言われます。

その姿を、岡田卓也氏という御仁は、令和の今も忘れていないでしょう。
 
当時の作ったチラシ、今なら恐らく悪いデザインと、御本人もいうかも知れません。
しかし、志がチラシのデザインになっている。
志が未来を創る。チラシからも、その証しが分かります。
 
著作権の観点から、チラシの写真をリンクすることは致しませんが、興味があればWebで検索してください。ご覧になれます。
 
 

平和あっての商売

 
 
平和あっての商売です。
 
 

お客さまあっての店の寿命

 

お客さまあっての店の寿命です。
お客さまは、神様ではありませんが、店で働く人達の命を繋ぐ存在です。だからこそ有り難いのです。
 
神棚仏壇を何時間拝んでも腹は膨れない。これが人間の世界の現実です。
「お客様は神様です」などと軽口をたたいているから、本質を掴めず閉店倒産するのです。
 
 

己の命は、他人が繋ぐ

 
 
他人が自分の命を繋いでいるのです。だから人ほど有り難い存在はないのです。

その有り難い存在を迎えるためには、店が健全でなければなりません。店を健全にしている源は、店で働く全ての人と、取引業者の方々です。
 
従業員や取引業者を粗末にして、永続的経営を続けられる経営者を見たことがありません。これもまた、人間の世界の現実です。
 
商売の世界とは、人が人のために心身をつかって、互いに補い合い生かし合う世界です。
 
 

人の幸福のために人が動き、人を活かすために店を創る

 
 
私は、岡田卓也氏という御仁の講演を何度か聴いたことがあります。
最初に聴いたときのことを今でも覚えています。
 
業者様に助けてもらって今日があると、業者とは言わず「様」をつけておられました。

そして、経営が苦しい時、従業員を解雇することを最初に考えるようでは経営者とはいえないともおっしゃった。
 
ソニー社の創業者と同じことをおっしゃると思ったことを、今も覚えています。
 
昨今、誰のために商売をしているのか分からないと思える経営者が増えていると感じています。

新型コロナウイルスの有事のさなかだからこそ、商売の世界というものを、正しく観ることができる人が一人でも多く増えることを願っています。
 
 

有事の時こそ、売り手の誠の強さが試される
魂を売らずに進んだ者だけに、次のステージは用意される

 

魂を売りたくなる瞬間は、誰にでもあります。私も生身の人間ですから例外ではありません。
 
ただ多くを見てきた私が言えることは、「バレなければ許されるだろうという生き方が、知らず識らずの間に、自らの人生や自社自店を行き詰ませる原因を作る」という事実です。
 
商売の世界は、幸か不幸か、売り手の生き方が、余すこと無く全て出る世界です。
 
魂を売らずに踏みとどまることができるか否かは、商売に対する誠の強さが決めるのです。

長い目でみれば、正直者が馬鹿を見ることは、商売の世界ではありません。
重ねて不徳を積んでまで行うべき商売もない。
 
今ここで、私が言うことが間違いでは無いことは、岡田卓也氏という御仁と小嶋千鶴子刀自の先祖の方々が見せてくれているのです。
 
善い人だから好き、悪い人だから嫌いだというような表面的な感情で、私は岡田卓也氏という御仁を見てはおりません。
 
誠が強いということが、いかに商売では大事かと言うことを、後進に見せてくれた。そして現役を退いて尚、活力の源は、世のため人のためという志だということを見せてくれた。

それ故に私は、岡田卓也氏という御仁が、理屈抜きに好きなのです。
 
 
岡田卓也氏という御仁が、「公に残した遺言」と感じるニュースを新型コロナウイルスの有事の間に見ました。

そのニュースを見て、この度 岡田卓也氏という御仁の話をさせて頂くことで、商人道義塾再開のシンボルと致しました。
 

これで、第一部 講演を終わります。
 
ありがとうございました。
 
 


 
 
 

 
 
 
 


 
 
 
 

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