TOP | 実践マーケティング | 日本のマーケティング学 第一人者 村田昭治先生の生き方と人柄から学ぶマーケティングの本質

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実践マーケティング講義

MARKETING SENSE

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※ 受講上のご注意を申し上げます。

 
 
村田昭治先生の人柄を思うと「切る」という感覚を避けたい心情になります。
なぜなら、村田昭治先生の心象は、「結ぶ人」「繋ぐ人」だからです。
 
そのため、他の講義のように途中で切りたくないため、非常に長いページになっています。
 
 
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※ 受講上のご注意を申し上げます。

 
 
村田昭治先生の人柄を思うと「切る」という感覚を避けたい心情になります。
なぜなら、村田昭治先生の心象は、「結ぶ人」「繋ぐ人」だからです。
 
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日本のマーケティング学 第一人者 村田昭治先生の生き方と人柄から学ぶマーケティングの本質

 
 
 

 ~ プロローグ ~

 
 
私が、初めて村田昭治先生に触れたのは、もう数十年前になります。村田先生の講演があると知り伺ったのが最初です。【link:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)参照』】
 
 
テレビや雑誌で名前だけ知っていたぐらいで、予備知識もなにもなく話を聞きに行ったというのが最初でした。
 
村田先生の第一印象は、人間とは、ここまで大きくなれるのかというカルチャーショックでした。この場合の大きさとは、体型ではなく、器量です。大丈夫だとは思いますが、念のため。
 
 
それまで、人間にカルチャーショックを受けるなど考えてもいなかった私にとっては、はじめて経験する人でした。話す内容だけでなく、態度すべてにショックを受けました。
 
普通のカルチャーショックは、私も経験していました。
村田先生に触れる前です。十代の頃にヨーロッパ諸国を旅して異文化のカルチャーショックを受けたことはありました。
アテネやローマでは、本当に映画のような世界があると景観に感動し、その後にドイツに入国しました。当時は、まだドイツが分断されていました。
 
西ドイツにいた現地の日本人ガイドと話をしたとき、彼の家は、トイレも風呂も複数あるとのことでした。ところが家賃は、東京のワンルームのアパートと同じぐらい。そして、アウディの自家用車まで保有していました。これには、子供ながら驚きました。
 
彼の話を聞けば聞くほど、同じ敗戦国で、なぜここまでライフスタイルに差があるのか。
素朴な疑問を持った私は町を観察しました。
 
結果、ドイツ人と日本人の違いは政治力の違いだと感じたのです。
それが、ゴミの捨て方に表れていると感じました。物価はじめ、いくつか感じた中で、ゴミ捨てがすぐ目につきました。
 
数十年前からドイツは分別廃棄をしているようでした。ところが、収集方法が合理的なため、市民のゴミ出しの負担が少ないのです。これは、便利だなと子供ながらに感心しました。
 
人間も、トイレで心配事があれば、飲食を躊躇するようになる。経済も同じだと考えています。
環境のため分別廃棄は、当然であり、これから益々避けられません。
 
しかし、消費者の負担を軽減するように行政が智恵を出し収集、処理法を進化させれば、消費行動が変わる。政府が給料を上げよと企業に言わなくても、自ら智恵を出してくれれば、活性化は些細なところから生まれてくる。今でも、そう感じています。
 
例えば、粗大ゴミ捨てに精神的負荷がかかりすぎると、大型商材の購入サイクルが鈍化するからです。
 
ここでいう政治力の違いとは、多くの日本人がイメージする政治とは違います。
多くの日本人は政治は選挙で勝った人が代理で行うものという意識が、まだ強い気がします。
 
ところが、ドイツ人の場合は違う。そう感じました。ドイツらしく表現すれば、ゲマインシャフト(自然に生まれる共同体)のレベルから、生活環境を良くしようと、地域活動する国民意識が高い。ゴミ出しの仕方が違うところから先ず感じました。一事が万事で、生活を工夫しながら、ドイツ人は生きているように感じました。
 
そのため、ゲゼルシャフト(現代のような社会システム。あるいは利害関係がある共同体)のような状態に発展しても共同体が、機能的に動く。だからこそ、生活費を高くしない工夫が行われているのだろうと、数十年前に感じました。
 
ドイツ人は凄いと感心しながら、日本が制度を真似ても、経済力がドイツより上になっても、本質的にドイツ人に近づくには、相当時間がかかりそうだなと、移動中のバスの中で憂鬱になったことを思い出します。
 
日本は、経済的に豊になった。しかし、まだ市民レベルで政治力が増したかといえば、少ししか変わっていないように私は感じます。
 
有事になれば、こぞって政治家を批判します。
民主主義ですから、批判は必要かもしれませんが、それ以上に必要なことは、選んだのは誰かということ。選挙に行かないのは誰かということに、気づくことではないでしょうか。
 
 
 
余談をお話しました。本題に戻します。
 
幼少の頃より様々な人間を観察してきました。様々な宗教の人達、教育者と呼ばれる人、政治家や公務員、そして人格者と言われる人。また、その真逆の人達。様々な人間を観察してきた私にとっては、これほど人間道の、ど真ん中を優々と、そして軽やかに生きている人がいること自体が信じられない。まだ若造でしたが村田先生に、えもいわれぬ清々しさを感じました。
 
感動的な講演を聴きながら、20分、30分、45分と経過するうちに、私の眉間にしわがよってきて、悔しくて悔しくて涙が出たことを今も覚えています。
 
人の話を聞いて悔し涙がでることは、後にも先にもありません。
なぜ感動的な話を聞いて悔しい思いになったのか。それは、自分がいかに遠回りをしてきたのか。嫌というほど味あわされたような気がしたのです。
 
もし、もっと早い時期に、村田先生に会っていれば、私の人生は変わっていただろうと思うと悔しさが込み上げてきました。
それだけ、人間としても教師としても、今までみたことも無い方、それが私の村田昭治先生の第一印象です。
 
話す内容も凄かったですが、今でも忘れないのは、村田先生の態度です。
 
当時、既に持病をかかえておられました。その状況で、1時間以上も冷暖房もない会場で立って話し。話し終わると会場の外で待っている。誰を待っているかといえば、講演に来ている人に、一人一人良く来てくれたと声をかけているのです。途端に人集り。
 
偉い先生は話すだけ話して直ぐ帰る。それが普通だと思っていました。ところが、自分の体を労ることすらない。世の中には何という人がいるのかと。今でも、どの場所で、どの角度で見ていたか覚えています。しかし、私は、その人達の輪に入れなかった。
 
あまりに、悔しくてそれどころではなかったのです。
ところが、その後しばらくして、遠回りしてきた私の人生を、村田先生に話すと、良い人生だなと褒められるのです。君は、人より多くのものを見聞きしてきたんだ。なんて素晴らしい人生だとなってしまうのです。
 
村田先生には、どんなに悲観的な内容でも、何倍にもなって肯定的に返ってくる。それも、抱えきれないと思うほどの量で、本気で戻ってくるのです。
 
村田先生の前では、くよくよしたり、落ち込んだりすることが、至難の業になってしまうのです。
 
我が身燈明となして一隅を照らすという言葉がありますが、村田先生は、まさにその見本中の見本です。
村田昭治先生がいると、一隅でも暗くない。そう思わざるを得ないのです。
 
 
私が商売で最も大事な心の状態と言っているものがあります。
それは、朱子語類にある「陽気の発する処金石も亦透る。精神一到何事か成らざらん」で例えています。【出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)参照』】※注
 
ただ、明るいとか、楽天的とかの陽気ではなく、体からでる陽気(実践編:雰囲気改善の講義参照願)、そして、考え方一つで、いかようにも人生はなる。だからこそ、自分は必ずできると信じきって進む。ただ信じるのではなく、信じきるから成る。これが大事なのです。
 
そして、歯を食いしばるような頑張る意識では、他者も緊張して来ない。全てを受け入れる自然体で、悠々として生きる人に、自然と人は集まる。
商売の本質的な生き方も、村田昭治先生は、見本だと私は感じています。
 
 
村田昭治先生を語ろうとすると、その大きさ故に、本講義だけではまったく足りません。何時間あっても足らない。正直に、私は、そう感じております。
 
そこで、本講義では目的を絞り、マーケティングセンスの下地は何が源かという点を、多くの方々に気づいて頂くことを主に話を進めていきます。
 
そして、村田先生は私のことを馬鹿堅い、もっとしなやかに生きられないものかと思っておられるようなので、先生に叱られないように、あえてフランクに、堅苦しくないようお話します。
 
学術的アプローチで村田昭治先生を学びたい人には、本講義は物足りないでしょう。その際は、村田昭治先生の著作から学んでください。
 
 

(※注  一般的な辞書にのっている陽気と、私が感得している陽気には違いがあります。言葉にはならないので、ここでの説明は割愛しますが、他の講義で必要な際に、お話するかもしれません。一例としては、一般に「陽気」は万物が生じて活動しようとする気ということがあります。しかし、万物は、陽気と陰気の混和でなりたっています。ただし、混じり合っても同化はしない。これは、言語には表せないので割愛します。陽気は良いイメージ、陰気は悪いイメージで語らうことが多いですが、それも本質がみえていない証しと感得しています。説明の割愛をご容赦ください。
 
 
 

 
 
 

~ 講 義 ~

 
 
それでは、講義をはじめます。
 
 
この講義は、私が村田先生から学びとったことを主に話しますので、先生の著作に書いていないこともあります。また、私の解釈ですので、賛否も生じるでしょう。
内容を疑われる人や、否定する人は、他の講義同様、必ず実践し試して、検証してください。
 
 
村田昭治先生という御仁は、いかなる人かと尋ねる方がおられれば、私は次のように答えます。
 
「天から人間界を眺めたとき、最も賢い人間だと評価される。それが、村田昭治先生だと私は思う」と、答えます。
 
このようなことを言うと、慶應義塾の名誉教授で、英語は堪能で、フランス語もペラペラ。賢いに決まっているだろうと思う人が多いでしょう。また、それが一般的な見方だと思います。
 
しかし、私にとっての賢さとは偏差値の高さや、社会的な地位の高さから測れるものだけではありません。寧ろ全く違った角度で、人の賢さを評価しています。
 
なぜなら、非常に難しい国家試験に合格する頭脳を持ちながら、困窮する人も知っています。
高学歴で知識も豊富なのに、イノベーションを起こせない人も見ています。
これらの方々は、数少ない例外かもしれませんが、実際におられます。
 
小学校しかでていない、松下幸之助翁【※】を賢くないと言わない様に、学歴が高いと学質が高いは別。
知的水準が高いことと、教養が高いは別。経済力があることと、品格があることは別。それが、私の人の見方です。【※ link:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)参照』】
 
私が、天が最も賢いと評価する人間と表現した、この「賢さ」の意味が分かれば、それこそが、マーケティングセンスの下地の源を、気づかせてくれるものだと考えています。
 
これから、村田先生のエピソードや言葉を通じて、マーケティングセンスについての話を進めていきます。
 
慶應義塾の名誉教授としてではなく、人間 村田昭治という御仁の人柄、生き方という視点から、本物に触れて頂き、マーケティングという言葉の本当の意味や価値に気づく。そのきっかけになることを切に願っています。
 
欲を言えば、人から先生と呼ばれる人が、いかなる人物か。それにも、気づいて頂ければ、とても嬉しく思います。そのため、マーケティングセンスとは異なりますが、番外編を加えました。
 

 

 マーケティングは誰のためか。

 
マーケティングは誰のためか。その答えは、既にお気づきかも知れませんが、簡単です。
世のため人のためが、マーケティング戦略の目的です。
 
具体的には、楽にする、便利にする、豊かにする、幸せにする。この4つの、どれか一つでも当てはまる様に行為することです。これら4つの要素が多く含まれれば含まれるほど、市場価値も高まるのです。売上もついてきます。
 
このように表向きから話せば、正論や美談だけで終わってしまうので、裏側からも見て行きましょう。
 
マーケティング戦略を企画立案中に、アイデアがでない人。
マーケティング調査を充分にしたにもかかわらず、閉店になる人。
 
これらの方々の共通点は、他人に対する興味が薄い。他人に対する観察眼が甘い。
そして、最も厄介なのは、人間が、それほど好きでは無いのに、ビジネスや商売を始める人なのです。
 
マーケティングが誰のためかが分かれば、認識としては充分です。
 
重要な事は、他人に興味を持つということがどういうことか。その本質を知ることです。
それが、次の項目になります。
 
 

 

 マーケティングセンスを鍛えるための他人との向き合い方。

 
 
村田先生が学生に話すことがあります。
 
 

あの人は自分と考えが違う。違うから嫌うでは、駄目だと先生はおっしゃる。
彼は違う。彼女は違う。違うから、面白い!

 
 
と、村田先生は言われます。
 
 

自分と考えが違う人間に出会ったときは、嫌うのではなく、自分の世界が広がるチャンスだと思いなさい!

 
と、村田先生は学生に教えています。
 
 
この教え、実に深い意味をもっていると私は感じています。
 
村田先生にとって、他人は、好き嫌いの対象でも、許す許さないという対象でもないのです。
 
他人は最初から受け入れる対象なのです。だからこそ、価値観や主義主張による人の選別が最初からないのです。これは凄いことだと思います。
そう易々と真似ができる境地ではないのですが、それを学生に分かりやすい言葉で教えるのですから、凄いとしか言えない。そう思います。あなたは、どう思いますか?
 
そして、自分が知らないことを知っている人が、今同じ時代に生きている。自分と価値観が違う人が、一緒に生きているということを面白がる。これこそが、好奇心を育む。そして、その好奇心で、自分の世界は限りなく広がっていくと教えているのです。
 
自分と同じ考え、同じ価値観の人間だけでいることは楽だが、世界を狭くする。ただでさえ人生に限りがあるのに、なぜ自分から狭めるのかということなのです。
 
価値観が違うから離婚するという人が、最近多くいます。
村田先生の発想でいえば、育った環境が違うのだから価値観が違って当然。それが良い。逆に違わないと困るということになる。違うから二人で生きる意味があると。
 
 

「夫婦が全く同じ価値観なら、何年同じ屋根の下で暮らしても学ぶところがない」と最初から覚悟すれば、いついかなる状況でも相手を許せる。相手を許すから、己の疵瑕(しか※)もまた許される。

※疵瑕(しか)【link:言葉の意味は、goo辞書©参照願】

 
 
考え方次第で、マイナスがプラスになる。これが幸せになるコツでもあると教えるのです。
 
 
 
 
 
 

 なぜ、自ら死を選ぶ者がいるのか。自殺にも人知れず過程がある。

 
心の視野を自分から狭めては勿体ない。私も仕事がら実感しています。
 
私が、フォーカス効果という言葉を使って、心の視野が狭くなる時の怖さをセミナーなどで話しています。
 
あなたも、今ここでやってみてください。
 
セミナーでは、参加者に自分の利き手の親指の爪をじっと見てくださいと話します。1分、2分と爪をじっと見る。目の焦点が爪にだけに合うようになります。
そうすると、すぐ隣に受講者が座っていても、その人達が一切見えなくなる。
爪しか目に入らなくなるからです。これが、フォーカス効果と呼んでいる状態です。
 
一点に心が留まると、今自分がいる世界がいかに広くとも、心の留まったところ、それだけになる恐ろしい現象です。
焦点が合うところが一点になると、自分のいる場所が、四畳半の部屋にいようが、豪邸にいようが、海辺のように広い場所にいようが関係無くなる。世界は同じ大きさになるのです。
 
 
実際にあることで例えるなら、いじめられっ子は、いじめられることに心が留まり。嫌なことだけに心が留まることで、心の視野が狭くなっていきます。その結果、家に帰ると優しい両親や祖父母がいることすら見えなくなる。学校へ行けば、いじめっ子以外の友達がいることが見えなくなる。
いじめっ子以外のこの世の全てが見えなくなるのです。
 
実は、心の視野が狭くなるだけでなく、同時に心の萎縮という感じの現象があることを弊社では独自の心理分析で気づいています。
 
心の萎縮が進むと、自ら自分の人生に終止符を打つことになる。そしてそのはじまりは、フォーカス効果によるものだと話しています。
 
これが、哲学者キェルケゴールがいう「死に至る病」絶望なのです。【link:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)参照』】
 
 
人と向き合う時も、相手自体に心を留めすぎると、長所だけではなく、短所も見える。時には、長所短所を両方観られるまで距離を取る。そして、人間とは、人の間(ま)と書くことを思い出す。
 
他人との間合いという感覚が大事になるのです。
 
夫婦の間合い、親子の間合い、親戚との間合い、知人との間合い、同僚との間合い、上司部下との間合い。同じ間合いでも、距離感は違う。
 
あなたは、それを感じて生きていますか。
 
 
 
 
村田先生は、挨拶は先手必勝とおっしゃいます。
そして、初対面でも先手必勝なのです。裏を返すと、人見知りゼロ。オープンマインドなどという生易しい状態ではなく、村田先生の心には最初から扉も壁もないのです。私の祖父母宅も、日中は曜日関係無く、玄関は開きっぱなしで誰でも入ってこれるようになっていました。常時受け入れるという感覚は、分かっていても、それでも尚、村田先生には驚きます。
 
袖振り合うも多生の縁という言葉がありますが、村田先生の教えでは、すれ違った程度でも、大いなる縁があると考えるのです。
 
例えば、週末仲間とゴルフに行きます。仲間と一緒にいるのに、見ず知らずのグループに混じってプレイをする。なぜ私達と回らないのか尋ねられても、既に君の事は知っているとおっしゃるのです。
 
関西で学会があり、仲間と東京から移動するときも、必ず座席を並べるな。チケットはランダムに買って欲しいと指示します。私の隣に座るなとおっしゃる。なぜなら既に君の事は知っているからと言うのです。
 
村田先生曰く、「Happen to meet!を楽しめ」ということなのです。偶然の出会いに人生を豊かにするチャンスがあると教えているのです。
 
それでも、新幹線に乗って、座席でゆっくりくつろぐようなタイプではなく、到着駅まで、第一車両から最後尾車両まで、5往復はすると言われます。
乗客が、どんな弁当を食べているのか。売店で何を買ったのか。グリーン車に乗る人は何をしているのか。巡回されるとおっしゃいます。
 
ただし、村田先生の場合は、見て歩くのではなく、観て歩くなのです。
 
そして、観察の仕方が、物の輪郭や外形といった物体観察ではないのです。ただ、これは著作だけでは、なかなか掴めない難しい感覚です。
そこで、次のマーケティングセンスとは何かの講義で、弊社のやり方と私の言葉で説明します。
 
 
村田先生が座席に座っているときは、隣の人と必ず仲良くなる。仲良くなった人からお裾分けがある。それに対して、後日お礼状を出す。今度は仲良くなった人の家族との手紙のやり取りまでが、はじまるのです。
あなたも、何という人かと思われませんか。
 
村田先生におかれては、この程度は序の口です。
 
私が、村田先生の教え子は幸せだなと感じる話があります。
村田先生が常々教え子に言っているという言葉があります。
 
「人の悪口を聞いたら、終着駅になりなさい。いい話を聞いたら始発駅になりなさい」
良好な人間関係を築くコツを、いい言葉で表現していると思います。

 
 

  

 マーケティングセンスを鍛える生活の仕方とは何か。

 
村田先生は、自分の子供に定期券を買ったことはないといいます。なぜなら、同じ道を通って同じ場所に行けば、視野が狭くなる。学ぶチャンスが減る。新しい出会いもないというのです。
 
私が、村田先生の墓前に行くときは、「君は、なんでいつも同じ場所から来るんだ!」と叱られる気がして、毎回道をかえています。本当に神経を使います。厄介と思いますが、それも供養だと思うのです。そして、先生の墓地の周りに、何があるか見て回りながら帰ります。3駅ぐらい歩いて帰ることは、しばしばあります。
 
村田先生のことだから墓にじっとしてはいないだろうと考えると伺う度に、人柄を思い出し笑顔になります。
 
 
私は、地方にセミナーや打ち合わせで伺う時は、原則前日に入ります。
セミナーの場合は、必ず参加者の会社の店舗を少なくても数店舗は覆面でみて、会場に入ります。
前日みた生きた店舗の様子を当日話すことは、私にとっては普通のことです。
そして、セミナー後は、遅めの列車で帰るようにし、ギリギリまで現地にいます。
 
九州に行った時、担当者の方と食事をしたことがありました。店の板前さんが、今日仕込んでみたので食べて頂けませんかと、メニューにない料理を、直接テーブルに持ってこられました。同席した担当者の方が、山口さん東京の人なのに、この店ご存じなのですかと驚くのです。
 
すかさず、昨日はじめて来ましたというともっと驚く。私も村田先生に似ているところが、いくつもあります。生来、人見知りゼロ。誰とでもすぐ打ち解ける。これもその一つかも知れません。
 
 
出張先で、少し時間があるときは、レンタカーを借りて回ります。
 
北海道ではアスファルトを観るだけで年間の寒暖差があることを実感できます。雪の多い地域は雨どいがなかったり、屋根の勾配が違ったり。路側帯の代わりが上から吊されていたり、東京では見ないことが、新鮮です。
 
時間があるときは、自転車を借りて回ります。
例えば、広島は川が多い。東京にいると分かりませんが、自転車で回ると気づきます。自転車はいいです。その土地の人と錯覚できる。でも、しゃべると、よそ者とバレてしまいますが。
 
マーケティングセンスの感度を高めるのは、そこに生きる人達に興味津々になること。それが何よりの近道だと思います。その時の空気を感じて帰る。そうすると東京で企画していても、脳裏に現地が浮かぶのです。これが、私にとって大事な感覚なのです。
 
 
よく聞く言葉に、「次の企画を考えてきて」と指示する上司がいます。この言葉、注意が必要と私は言います。
 
どこで考えるかにもよりますが、考えても良いアイデアは、そう簡単にはでません。よくある失敗が、机に向かって考えようとします。
 
マーケティングは、ターゲットが人間です。同じ指示するなら、よく観てきて、よく感じてきての方が、アイデアが出しやすくなる。これが、新人を育てる際には教育的配慮になる。違うでしょうか。
 
町ゆく人達を観察する方が、机に向かって考えるよりアイデアを出しやすい。それを、村田先生は寄り道をしろという言葉で、学生に教えているのです。
 
 
2001年5月10日の日経流通新聞に創刊30周年特集として村田先生が寄稿しています。この記事に使用されている村田先生の写真が好きで、私のデスクの側に飾っています。
 
この記事の中に、リクルート創業者の江副さんが、村田先生に「商売とは、マーケティングとは何だと」聞く内容が記載されています。
村田先生は、「犬が歩くときクンクンと嗅いで回るだろう。あれだよ」と答えたと記事にあります。
 
これも、実に良く、マーケティングセンスを表しています。
 
礼を欠いた質問をすると、ウィットにとんだ先生には、簡単にいなされて返されてしまう。
 
至誠をもって正面から本気でぶつかれば、もっと深く、そして真面目に返してくれるのに、実に勿体ないと思いながら、当時は記事を読みました。江副さんが慢心せず謙虚なら失脚しないで済んだかも知れない。ふと感じた次第です。心の声がつい。ご容赦ください。
 
村田先生がおっしゃることは、ただ歩くだけではだめということです。歩く距離ではなく、寧ろ感じる時間が大事ということです。五感を使って細かく観察することからはじめる。これが、マーケティングも商売も大事だとおっしゃっているのです。ポイントは、視覚だけではなく、五感ということです。
 
私の場合は、第六感も使うことが出来ればと良いと感じています。
したがって、私は現地視察中、見ることをやめ、店舗内で目を瞑ることもしばしばあります。
店員、お客さま、人の心のゆらぎだけに感覚を集中する。言葉にならない世界ですから、残念ながら、これ以上お話しはできませんが、商人道義塾で扱う私の言うことを意識し続ければ、感じるようになるかも知れません。
 
マーケティングセンスを高めるためには、観察力を軽視できません。
では、どこを観るのか。何を察するのか。
 
マーケティングセンスで、何をどう観察するかは、別の講義でお話します。

 
 

 

 マーケティング戦略上、宣伝広告と販売で必要なこととは何か。

 
 
私は、今まで村田先生の側近の方との約束で、先生のことを話すことは控えてきましたと、前回お話しました。
 
 
1999年4月に弊社を起業した際、村田先生の経営者向け私塾であるMMCに君も来なさいと言われました。
 
村田先生の周りの方々からは、遠回しに、君(私)が来るところではないと言われました。実績を積んでから来なさいと言う意味でしょう。
 
しかし、先生からの誘いを無視できないと側近の方に伺った際に、来ても良い条件として、「村田先生の名前を使い営業はするな」と言われました。無論、MMC内でも同様ということです。
若造で勝ち気だった私は望むところと言って、当日会場に伺いました。
 
会場に入り、啖呵を切ったことを直ぐ様、反省することになります。
側近の方が言う意味が、簡単に分かりました。
 
お金もあるところにはあると言われますが、村田先生のMMCは、テレビや雑誌でしか見たことのないような人が何人もおられ。この人達にアポを取るとしたら何年かかるだろうか。人もいるところにはいるのだなと思ったことを覚えています。
 
それでも約束通り、契約前に村田先生の話をクライアントにしたことはありません。
 
 
私は、周りの方々の来るなと言う助言を無視して伺った御陰で、マーケティング戦略上、最も軽視できない重要な点に気づくことになりました。
ただ無理に参加し周りの人達に申し訳なく思うところは、今もあります。
 
 
村田先生自身は、意識し、気づいているかは分かりませんが、MMCで話す時は呼吸の仕方も違うため、雰囲気も違う。
そして、驚くほど違うと思ったのは、言葉の遣い方でした。
 
学生や、一般の人向けに話す時は、笑えるような話を数分に一度は必ずまぜ話される。
難しい言葉や専門的な言葉は使われない。そのため、年齢関係無く、誰にでも話が分かりやすい。
 
ところが、経済団体に属しているような会長や社長の前だと、専門的な言葉が多くなり、笑うような話は一切ない。
恐らく学生に話すような話し方をしたなら、大企業の経営者の方々の心に入れないからです。
 
村田先生は、人の肩書きで態度が変わるような人ではない。ところが、聴く相手によって言葉を換えているということを知りました。これを通じて、マーケティングの中で、重要な販売と、広告宣伝の重要点を学びました。
 
分かりやすい言葉で言えば、言語は道具。何のための道具かと言えば、意思疎通の道具です。
したがって、聴く相手が理解できなければ、全く意味がない。たとえ分かりやすい言葉でも、専門用語であっても、相手に通じていない言葉は、ただの音。
そして文字は、ただの記号だということです。
 
販売も、商品の良さだけでなく、売手の人柄の良さが通じなければ売れません。これは、優秀なセールスマンほど知っていることです。
 
 

相手に自分の思いが通じることに、全身全霊をかける。 

 
 
これが、マーケティングの中で非常に重要な点なのだと気づかせて頂きました。
 
もう一つ、村田先生の話の中に、
 
 

First man to be Called!

 
 
という話がありました。
言葉の意味は、「最初に声のかかる人になれ」ということです。
 
困ったことが起きた、どうすれば良いかと思った人がいる。その時、最初に思い出して貰える人になりなさいとおっしゃったのです。
 
実は、最初に思い出すということの重要性も、マーケティングの中にあるのです。
 
マーケティング戦略立案の中で無視ができないことがあります。それは、同時にブランディングを考慮することです。
 
ブランディングについては、これも重要なため、別の講義でお話しますが、ここでは簡単にお話ししましょう。
 
ブランドというと、ヨーロッパ諸国にある洋服や靴、あるいは鞄を思い出す人もいるでしょうが、マーケティング戦略上のブランディングとは、顧客の脳にある記憶を指すのです。
 
日本の商人的な感覚で、ブランドを表すと、「暖簾」ということになります。この暖簾、店の目印という意味だけでなく、信用、誇り、伝統が含まれます。店によっては格式という意味も含みます。この感覚は、商人の子として生まれないと、感じないことの一つかも知れません。
 
 
例えば、あなたがラーメンを食べたいと思ったとします。
外でお酒を飲んだ帰りなら、「駅までの途中で開いている店に入る」となるかも知れません。
 
もし自宅にいて、美味しい豚骨ラーメンが食べたいとなったら、どうでしょうか。
思い出す店は、恐らく多くて4店舗ぐらいではないでしょうか。
 
問題は、自分(あなた)の店が、お客さまが思い出す4店舗に入っていなければ、来店されないということなのです。
そして踏み込んで言えば、店を思い出したとき、お客さまの脳裏で何が映像になっているかが、商売では重要なのです。
 
あなたがケーキ好きなら、どうでしょう。甘くて美味しいケーキが食べたいと、自宅で思った時、どの店が、脳裏に浮かびますか。そして、どの種類のケーキが浮かびますか。あるいは、何色のケーキが浮かびますか。今すぐ試して観てください。
 
いかがでしょうか。あなたの脳裏に浮かんだもの、それが、ブランディングを意味する正体です。
 
自分のお店を、最初に思い出す人が多ければ、それこそが再来店率の高い証しであり、売上が良い店と言う事になるのです。
 
したがって、大事なことは自店のどこを記憶してもらうかを、売手である あなたは、常に意識していなければならないのです。
 
例えば、自動車メーカは数十社あります。しかし、買手が車が欲しいと思った際に、思い出すメーカは、数社です。全てのメーカを思い出そうとする人は、稀です。
 
あるいは、数ある車種のなかで、購入に迷う種類は、数種です。
 
例えば、ミニバンと、スポーツカータイプの軽自動車、どちらを買うか迷うことは、ほとんど無いでしょう。
ミニバンを買うときは、同じ乗車人数のSUVで悩むことの方が多いのではないでしょうか。
 
トヨタ自動車社が、マーケティング戦略が上手いのも、開発段階でこの車は誰が乗る車か、ターゲットが明確になっているからです。
 
例えば、売れない自動車メーカは、この車は家族向けの車とターゲットが曖昧になる。家族といっても、高齢者がいるか、夫婦だけか、幼い子供がいる家庭かでニーズが違います。ターゲットが曖昧だと売ることの難易度が高くなるのです。
 
その証しに、マーケティング戦略が上手いトヨタ自動車社であっても、富裕層向けというターゲットが曖昧になりやすい高級車は、売ることが難しいのです。

苦心なく簡単に、お店や、商品の良さを思い出せるということが、マーケティング戦略上は大事なのです。
無理して記憶の引き出しを開けようと考える人の方が、圧倒的に少ないからです。
 
 
私自身も、常々「First man to be Called!」を意識しています。
 
 

コミュニケーション、プロモーション、セールスは、「行為」そのものではなく、自分の思いが買手に通じてこそ意味がある。

 
 
最初に思い出される存在であるかを意識しつつ、市場競争に勝つ戦略を立てる。
 
この二つは、生涯利用できるマーケティングで最も大事な点と言ったのは、嘘ではありません。
この話を聴いたのは、20年も前のことです。
あなたが意識したことがなければ、是非今日から仕事で活かしてみてください。
 
 
 

老若男女、全ての人に好かれる店にしたいと思えば思うほど、集客、販売の難易度は高まる。

 
 
 
この自覚がない企業は、大小かかわらず商売に苦戦しています。
是非、あなたの周りを監察してください。
 
 
 
 

 

 日本のマーケティング学第一人者のバックボーン。

 
ここまでの話だけでも、村田先生という方が違うなと感じたのではないでしょうか。
村田先生を、凄いと感じる人、素晴らしいと感じる人、素敵だなと感じる人。様々と思いますが、これで終わりにしては、勿体ない。人に歴史ありだからです。
 
人生の良いところは、将来が不確実だからです。
ただし、未来は今の延長とは限らなくても、今は過去と繋がっているということです。それが、人に歴史ありです。
 
その人の人となりは、何から生まれてきたのか。それを少しでも感じることで、より深くその人を学べると思います。

プライバシーに配慮し、公になっている話から、私が知る村田先生のお話を致しましょう。
 
村田先生は、台湾生まれで、台湾からの引揚者でした。和歌山県の田辺港に着いたときは、中学二年生の時でした。
 
輸送船から小さな舟に乗り換えるときに、なわ梯子を踏み外して落ちてしまいます。アメリカの水兵が、先生をすくい揚げます。
その時、Thank you!とだけ言えば、可愛い子だなで終わったのでしょう。
 
ところが、“Thank you very much, sir."と、sirまでつけてしまったから、どうしようもない。
良かれと思ったことが大変になってしまうのです。
 
その水兵、すかさず“Oh, this boy can speak English."(こいつ、英語をしゃべれるぞ!)と言われてしまう。まさかこんなところで、英語の通じる人間がいるのかと思ったのでしょう。
それがましてや少年ですから、驚いたでしょう。
 
水兵は、びっくりした顔のまま、村田先生を違うところへ連行してしまうのです。問答無用ですから、今で言えば拘束です。
 
中学二年生、14歳のころです。
あなたなら、たった一人で連れて行かれるのです。絶望的に感じませんか。家族とも離ればなれ、一人連れて行かれるのです。
 
村田先生が、連れて行かれた場所は、水兵の溜まり場でした。
そこで、「君、私が言うことを日本語で、引き揚げてきた皆さんに伝えろ」と水兵は言います。
村田先生は、それを伝える役になりました。
 
引き揚げてきた人達に、「皆さん、お風呂に入って、DDTのシャワーを浴びて、乾パンとチョコレートをもらって、それぞれの割り当てられた部屋に行って下さい」と言うのが、村田先生の役割でした。
 
引揚者から「坊や、チョコレートもっと欲しいからもらってよ」と言われると、水兵に“Sir, they would like to have more chocolates, please. I'd like to give them.” と、お願いする。水兵は “OK”と言ってたくさんくれたそうです。
 
それを三回ぐらいに分けて村田先生が、引揚者のところに運ぶ。
普通なら、なんで自分がこんなことをするのかと不平不満になる。ところが、引揚者の中で、人気者となったと喜ぶ。
それが、村田昭治という御仁なのです。
 
しかもこの役目、どのくらいの期間やることになったと思いますか?
 
4ヶ月間もです。
恐らく引揚者がいなくなるまで、やっていたのだと思います。
 
ようやく解放されるときがきます。
「坊や、どこへ帰るのか」とアメリカ兵から言われ、「私は高円寺大和町というところに私の兄がいるはずだ。 大和町に行くんだ」と、アメリカ兵に言うと、東京までのトラックに乗せてやると言われます。東京までアメリカ兵と一緒になって向かうことになります。
 
そして、ワシントン・ハイツに一週間留め置かれ、その後、アメリカ兵のジープに乗せてもらって、兄のところに向かいました。
 
ところが、目指す兄の家は、影も形も無かったのです。
 
その光景に、「おい、昭治どうするんだ」とアメリカ兵が言うと、「私の姉が、茨城県那珂郡国田村に嫁いでいる」と答えるのです。
 
アメリカ兵は、「わかった、茨城県に行くジープに今度頼んでやるから、ワシントン・ハイツにしばらくいろ」と言うのです。
 
中学生の少年にとって、どれほど辛い思いをしているか。普通ならそう感じるでしょう。
 
ところが、村田先生曰く、「ワシントン・ハイツにいるうちに随分英語を勉強しました。」となる。まったく悲愴感を語らない。何という人かと思いませんか。
 
台湾で、父から英語を少しずつ教えてもらっていたようですが、村田先生の英語は、生き抜くために習得した実践英語だったのかも知れません。
 
そして、茨城県にジープで、アメリカ兵二人と行くのです。その途中、田んぼの中に左の車輪が落ちてしまいます。その御陰で、今度は近くの村人に助けられるのです。
 
そして村人から、姉の嫁ぎ先を教わることに成功して、姉の家でようやく引き揚げてきた荷物を解くことになるのです。
 
ところが、人には様々な事情があるのでしょう。
直ぐに学校に行かねばと言う事になり、今度は、東京に実兄の戦友を頼ってでるのです。
 
ところが、住むところもない。
「お前住むところがないのか」と尋ねられ、「ない」と実兄の戦友に話すと、威張って言うなといわれながらも、「じゃぁ、鐘鳴らしをさせてやる」ということで、学校に住み込むことになるのです。
 
 
鐘を鳴らすとは、今で言うチャイムのことです。村田先生は、チャイムを鳴らしながら、高校に住み込んで、高校を卒業するのです。
 
さぞ寂しいだろうと思うのが人情です。ところが、学校のカギを管理しているため、自由に図書館に入れる。高校の図書館はマイライブラリーというのです。
 
人間ですから、感情があります。ましてや中学、高校生の時期に、家族と離れ、一人です。
切ないこと、辛いこと、情け無いことたくさんあったに違いない。
 
ところが、一つ一つのマイナスを、生来の明るさで、全てプラスに変えてきたのです。
 
単なる楽天家ではない。
裕福な家庭に育ち、何不自由なく育ったのでもない。

自力でマイナスをプラスに変えてきたことで、胆力を身に付け。
そして、いかなる時も、自分よりも、他者が喜ぶことを優先し、無意識に運を高めた。
その結果、小泉信三先生はじめ、人に恵まれる幸運を得たことで、本当の教養を身に付けられた。【link:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)参照』】
 
村田先生は、頭の良い人です。しかし、頭の良さだけで、マーケティング学第一人者になったわけではないのです。
 
アメリカから日本にマーケティングという概念をもってきたから、凄いのではない。
慶應義塾の名誉教授としてしか見ないのは、一断片だと申し上げたのは、この思いからです。
 
 
 
 
 

人を笑顔にすることで、自分の辛さを忘れる。
辛い時こそ、人の喜ぶ笑顔が、何より大事と身に染みる。
優しい言葉や、礼節のある言葉の遣い方で、いかようにも相手は協力してくれる。

 
 
 
これを、身をもって学んできた人生なんだろうと思います。
それ故に、村田昭治という御仁の言葉は、人の心の奥に入る。私は、そう思うのです。
 
 
 

知識を蓄えただけでは、言葉に魂は宿らない。

 

頭が良いだけの言葉では、人の心に響かない。

 
 
 
これから、指導者になろうという人達には、是非、村田先生から大事なものを感じとって頂きたいと思うのです。
 
 
そして何より、村田先生にとって学ぶとは、教室の中、あるいは教科書や参考書からだけにあるのではなく、この地球というフィールド全てにあると学んで来られている。
だから、村田昭治という御仁は、大きいのだろうと思います。
 
今は宇宙がフィールドになっておられる。毎日毎日、嬉しくて楽しくてしょうがないのではないかと、先生の墓前で感じています。
 
 
地球から見れば、人間など小さな存在。肩書きも、経済力も、学歴も、性別も、取るに足らない些細なこと。あえて区別など必要無い。いや、先生には区別という感覚すらないのだろうと思います。これが、差別を生まない人の人柄です。
 
大企業の会長であろうが、掃除の仕事をしているおばちゃんであろうが、偶然新幹線で隣り合わせになった老人であろうが、何も変わらない。
これが、本物の人間なんだと、カルチャーショックを受け、また、えもいわれぬ清々しさを感じたのです。
 
 
生前、村田先生は、本物を見なさいと教えています。
この意味がよく分かります。私は高校生の時期、近くの美術館の図書室に頻繁に行っていたことがあります。しかし、画集を見るのと、本物では伝わってくるものが全く違う。モナリザも、ニケのヴィーナスも、ミケランジェロのピエタも、ピカソのゲルニカシャガールルノワールミュシャ東山魁夷、挙げたら切りが無いほど、確かに実物と画集では違うと思う本物は多いです。【link:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)参照』】
 
 
本物を見なさいという教えは、生身の人間にとっては尊いと思います。
 
私の人生の中で、何人かおられる本物中の本物と感じたお一人が
村田昭治先生であります。私にとっては、村田先生自身が「本物」。
 
一つの考えに固執せず、主義主張に偏らず、絶えず柔軟でいることの方が視野が狭くならず、学びが多い。これが人間としての「本物」の姿なのだと。
 
弊社の社是である中庸も、村田先生の生き方に影響を受けていることは間違いありません。
 
 
 
 
 

 人間を観るとき、三つのレベルがある。

 
 
村田先生に因み、あえて英語で言えば、
 
第一観察レベル Surface。即ち、外見や服装、表面的な観察です。肩書きや経済力等も含まれます。
 
第二観察レベル Inner face。即ち、人の内面。人柄や価値観等の観察です。
 
第三観察レベル これは、言葉にはなりません。(但し、実践ノウハウ編の雰囲気に関するいくつかの講義を学べば、第三観察レベルの感覚が掴めると思います。詳しくは、こちらからどうぞ>>>)
 
第四観察レベル これも、言葉にはなりません。しかし、通常は必要ありませんので、割愛します。
 
 
第三観察レベルは、Surfaceでも、Inner faceでもなく、目に見えないものです。
しかし、見えなくても「ある」と思って観察する必要があるのです。
 
あえて、イメージを言葉にすれば、catch the wind や、feel a presence という感覚です。どちらの言葉も和訳すると、「気配を感じる」となります。
ただし、前者がwindの気配、後者がpresenceの気配です。
 
前者のwindは、風というよりも、空気の流れや呼吸といったイメージです。
したがって、空気感や、息づかいで感じる気配です。
 
後者のpresenceは、存在からかもし出されるもの。雰囲気のようなものです。
俗に言うオーラや、存在感からかもし出される気配です。
 
これらを観ることこそ、人格の奥行きであり、人の深みでもあります。
 
しかし、観る側にある人格の奥行き、深み以上には、人は見えないということです。
 
「だからこそ、日々自分を高めなければいけないのだよ」と、
村田先生の背中が、そう語っているように感じています。
 
村田先生の立ち振る舞いから、私が学び盗んだものです。先生は学び盗めとよくおっしゃった。
 
自分の肉眼で見えているものが、本当に真実か。
一度疑ってみる、それが自分の世界を広がることに繋がり、またマーケティングセンスを高めることにもなるのです。

 
 
 

 改めて、マーケティングとは何か。

 
 
人が喜ぶことは何か。人が幸せになることは何か。それを悩んで悩んで、毎日頭を抱え生き続けると、ふとひらめく。
ひらめいたことを、勇気を持って行動に移し、形にする。そして、情熱を持って、開発ストーリーと誠を添えて相手(お客さま)に渡す。渡しっぱなしにはせず、価値を共有し、共感し合う。
 
共栄共存を実現するための全ての過程が、マーケティングをする行為なのです。
 
単に自社自店の営利を目的とするものではなく、「共栄共存を実現する」意識をもって空間を生むということ。それが、すなわちmarket+ing、この世に市場を創ることであります。
これが、Marketing(マーケティング)であります。
 
 
 

 番外編1:一流のサービスとは何か

 
 
私がコンサルタントになって間もない頃、クライアントの人事部長から、接客時のホスピタリティは、山口さんをマネすれば良いのかと言われたことがありました。
私をマネしてくださいと言えれば良いのですが、まだ私はそのレベルでは無いと正直に申しました。
 
人事部長ががっかりした顔をされたので、見本と言える人がいますと言うと、興味津々で誰ですかとなりました。
 
慶應義塾の名誉教授 村田昭治先生です。人事部長は、どうしてかと不思議に思ったようです。
 
その理由を話しました。
 
私が、一流のサービスとは何か。誰から教わったかと言えば、村田先生から学びました。その立ち振る舞いからです。
 
結論から言えば、
 

一流のサービスとは、なん人たりとも隔てないということです。

 
 
身に付けている物が高価だから。
クレジットカードの色が違うから。
乗っている自動車が高価だから。
 
これら肉眼観察だけの領域で人を差別しない。そして、誰にでも同じように誠意を尽くす。これが一流のサービスだと、私は話します。
  
ところが、非常に厄介な事は、「なん人たりとも隔てない」という言葉だけを追ってしまうと、大きな誤解が生じるのです。
 
それは、どういうことか。
例えば、「入店された全てのお客さまに、声がけしてください!」と、だれかれ構わず、同じタイミングで声をかける。これを疑いも無く指示をする管理職がいます。この結果、来店客は、すーといなくなるのです。
 
最も接客センスの無い人の典型的な決め台詞だと、私は教えています。
 
お声がけして良いお客さまと、絶対にお声がけしてはいけないお客さまが、この世にいます。
ところが、この見分け方を教えられる指導者が、大手企業ほど、いなくなったといって過言ではありません。
現在は、知っている人が、どの業界でも少ない。実に悲しいことの一つです。
 
 
理解を深めるために、事例を変えましょう。
コールセンターでも、よくあるのが、「あの~」とか「えー」とか、言葉の前に使うと失礼だと教育する会社が、多くあります。
 
確かに、一般的には正しいです。ところが、話す前に「えー」っと、あえて音をだして、話し始めると非常に喜ぶ人達がいます。
 
耳の遠いお年寄りです。お年寄りは、いきなり話されると、聞き取りにくいのです。なぜなら、耳から入った音に脳が反応するまでの時間がかかるからです。このため、お年寄りは、聞き返すのです。「なんですか~」と。
 
なん人たりとも隔てないというのは、心掛けの問題で、誠意は一緒。
しかし、間合いと、表現手段は、お客さまによって変える。それが、接客なのです。
 
間合いとは、自分とお客さまの距離感です。
これを分かり易く言葉を換えて表現すれば、人格の違いを尊重しつつ、相手の心理を酌み、思いやる情をもって対応するということです。
そうすると、自然と自分とお客さまとの体な距離も適正になってしまうのです。
 
例えば、お客さまの心理状態を見るのです。
洋服の色が暖色系(明るい緑を含む)、寒色系(白黒グレーを含む)では、心理状態に違いがあります。
このため、お声がけのタイミングと、お客さまに近付く角度が、全く違うのです。
これも、知っている人が大企業にいないと感じています。
 
寒色系の洋服を着ているお客さまの場合は、声をかけない接客の間が大事なのです。
商品を見ているとき、選んでいるときに声をかければ、寒色系のお客さまは、すぐいなくなります。
 
ところが、声をかけるタイミングがあえば、簡単に信用を得られ、二度、三度と来店してくださる確率も高くなるのです。
 
寒色系の洋服を着ているお客さまの場合、店員が一度でも信頼を得られると、長期間、同じ店員を頼りにされる確率が高いのです。
 
いずれ業種別の講義で取り扱います。ここでは長くなるので割愛します。
 
あなたの会社で、これらを教えてくれる人がいますか。
いらっしゃれば安心です。
 
 
一流のサービスとは、なん人たりとも隔てない。区別はしても差別はしない。
(差別と区別の違いを詳しく知りたい人は、こちらからどうぞ>>>)
 
 
誰に対しても、誠意をもって接する。ただし、間合いは人によって変える。ここにセンスと、教養がでる。

そして、どんなに自分が誠心誠意こめて良かれと行ったことでも、余計な事をするなと怒る人が必ずいる。それにめげない。負けない。それが、接客の世界です。
 
 
 
 

 番外編2:教師とは、いかなる存在か

 
 
村田先生は、教え子の結婚式に呼ばれる時は、会場に早く着くようにしているそうです。
そうすると新郎新婦は安心する。安心させることが励ますことなのだとおっしゃいます。
村田先生の温かみを表した言葉だと思います。
 
私が、村田先生の人柄や生き方を学び、そして、多くの人達と接してきて学んだ事があります。
 
それは、指導と教育とは何かということです。
 
 

指導とは、教わる人の行動を変えること。
教育とは、教わる人の人生に良い影響を与えること。
 
したがって、行動が変わらなければ、指導したことにならず。
人の人生に良い影響が生じなければ教育したことにはならない。

 
 
これを肝に銘じることのできる人だけが、教える側に回れるのです。
 
 

人から先生と呼ばれることを、甘く見てはいけない。

 
それが分かる、村田先生の日課があります。
 
村田先生は、自分宛に届いた手紙は必ず返信すると言われます。
特に教え子からのは、ただ返信するだけではなく、パワーを与えることが教師の務めとおっしゃいます。そして、教育は手間をかけることだと言います。
 
ところが、その数、ほぼ毎日200通の手紙を出されるのです。
因みに、その200通、電子メールではありません。
恐らく電子メールでも大変なはずですが、村田先生は全て手書きで返信されるのです。
 
タクシーや電車の中で揺られながら、手のひらで書いて下さっていると感じるものもあります。
その温かな思いを噛み締めると、嬉しい気持ちより先に涙がでる手紙です。
 
私も何通も頂戴しています。一言、二言のこともあります。それでも、心の真ん中に入る言葉を必ずくれます。
 
寸暇を惜しんで、寝る間を惜しんで、自分のプライベート時間も恐らく削ってされている。これが、先生と呼ばれる人の姿です。
 
多くの教え子から、卒業しても恩師と言われ続け、他界しても墓参者が後を絶たない。
 
これが、教師という生き方です。
 
 

人望というのは、他者のために、どれだけ本気になったか。
その副産物でしかない。

 
私が、村田昭治という大人物から学んだことです。
 
 
 

 番外編3:師匠とは、いかなる存在か

 
 
一周忌の命日に墓前で、私は伊藤さんという方と出会いました。そのようなときは、通りすがりに挨拶だけというのが、一般的です。
 
伊藤さんは村田ゼミのOBで、村田昭治先生の人柄をよく知り、私より何年も先輩の御方です。
 
二人とも先生の人柄を知っているためか、村田先生の墓前で挨拶だけでは許されない。互いにそう感じたのでしょう。この後、食事でもと伊藤さんは誘って下さいました。
しかし、その日は予定があったため、私は帰りました。
翌年の命日、また墓前で会い。3年目もまたお目にかかる。これには、私も驚きました。

なぜなら私は、同じ場所に行くとき、同じ道を通るなという村田先生の教えを守ってお墓に伺ったので、3年連続で、全く違う場所であったときは、さすがに私も驚きました。
 
伊藤さんは、先生の墓地から離れた場所に住んでおられるため、墓参時間の約束などはできませんし、していません。それにもかかわらず、3年連続で会う。これは凄いと。
 
村田先生が他界され、もう書籍からしか学べないと思っていたのですが、伊藤さんと初めてお目にかかったとき何かあると、うすうす感じ取っていました。
 
 
話はさかのぼりますが、二年目の命日の時です。
墓参の後、偶然お会いした伊藤さんと食事をしました。
 
有名な施設の中に看板がないサロンがあります。そこに、私の様なものを誘って下さいました。
 
食事中しばらくして、私の左肩の後ろに気配を感じ、村田先生かと感じた瞬間、「山口は馬鹿堅い。もっとしなやかに生きられないものかな。伊藤を見習え。弦も張りすぎていると良い音は出ないぞ」と言われたような気がしました。
 
すると目の前にいた伊藤さんが「おかしいな、山口さんを眺めているだけで、涙がでてくる。」そういっておしぼりで目頭を押さえられた。
 
伊藤さんの真我が反応しているのかなと感じつつ、死して尚、思いを寄せ教えてくれるのかと、つくづく頭が下がる思いになりました。
 
あまり変な話をすると、誤解を受けるので、このへんで止めます。私の気のせいだと思って、ぜひ聞き流して下さい。
 
 
私は、師匠と呼ばれる人を何人も見聞きしてきました。
 
良い師匠とは、亡くなった後に分かります。
それは、師匠亡き後も、何も変わらず弟子達が生きていけるということです。
 
 

良い師匠とは、自分が死んだ後のことまで考えて、人を育てる人のことをいうのです。
この覚悟がない人は、絶対に弟子は持ってはいけない 

 
あなたは、人から師匠と呼ばれるようになりたいですか。
そう思われるなら、是非上記の覚悟を持ってください!
自分が死んだ後、弟子が自力で生きていける。師匠の大事な仕事は、技術の伝承だけではありません。
 
これを自覚したなら、あなたも必ずや良い師匠と呼ばれるようになります。

 
 

 

エピローグ

 
 
商人道義塾の講義らしく、最後は、村田先生がおっしゃる商人について話しましょう。
 
 
2001年5月10日の日経流通新聞、創刊30周年の特集として村田先生が寄稿した記事があります。その最後を、次の言葉で締めくくっておられます。
 
 

今の商人たちには魂が抜けておる。
商人として美学が無さ過ぎる。
商いは幸せを運ぶんだ。
それが商いだということを忘れないでほしいね。

  
 
全ては、この言葉に宿っている。そう思いませんか。
あなたは、どう思われますか。
 
 
 
これで、講義を終わります。
 
長い時間、大変だったと思います。
あなたの根気に敬意を払います。
 
最後までご覧になったあなたも素晴らしい人です。
間違いなく周りの人達を幸せにできる人です。
 
気休めなく言えます。
 
 
 
 

 

 

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