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全サービス業共通 商売哲学編

PHILOSOPHY 

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 【商売心得】人間という生き物を知ることが全ての始まり 前編

 
 
 
哲学編の最初の講義です。
商人道義塾の講義を楽しみながら、また真剣に考えながら受講してください。
これからの講義が、あなたの役に立つことを願っています。
 
それでは、始めましょう
 
人間とは、何かという問いは、生物学的な見地、哲学的な見地によっても異なるでしょう。また、人間の存在真理を科学的に証明することは、とても難しいと認識しています。
 
そこで、商人道義塾では、私が感得しているもので、多くの人達が有益だろうと思うものをお話します。
ここで私が言うことは、科学的に証明できないものも含まれます。
 
そこで、あなた自身が身の回りの現象を見くらべながら、私が言っていることが誤りか、正しいかを判断してください。
 
それでは、人間という生き物を知ることが、なぜすべての始まりなのでしょうか。
 
それは、商売は人間を相手にするものだからです。
そんな当たり前のことは、言われなくても分かっていると思う人も多いでしょう。
 
しかし、本当に分かっているのか? 改めて考えて欲しいのです。
 
サービス業の職種問わず、また法人規模の大小を問わず、ほとんどの会社では、業務内容等、店舗オペレーションを中心に、顧客への言葉遣いや立ち居振る舞いの訓練から何の躊躇もなく、はじめてしまいます。
 
そして、OJT(On-The-Job Training 職務場で業務指導を行う教育訓練法という名の下、とてつもない乱暴な感覚で、職場に出してしまっているのです。
 
これはスポーツで例えると、初心者にルールと基本動作を教えただけで、公式戦に出場させるぐらい乱暴なことなのです。
 
これで、勝てるスポーツが、この世にありますか。皆スポーツだと、その通りだと理解できる。
 
ところが、サービス業となると別になってしまう。なぜなのでしょうか。ここに疑問を持たない担当者や教育係が多すぎるのです。これは、とても恐ろしいことだという自覚が必要です。
 
現実的に、このような話をすると、時間が無い、人手不足だから分かっていてもできないと即答する人が少なくないのが現代です。確かにおっしゃることは、分かります。
 
しかし、時間が無い、人手不足だからと見過ごしていて倒産するようでは、話にならないと思うのですが、いかがでしょうか。
 
あなたは、何を優先して考えれば良いと思われますか。
 
多店舗経営の場合や、大型店舗の場合、パートタイム職員に懇切丁寧に教え、一人前になってから店に出て頂くことが現実的ではないこと。現場を知る私も分かっています。
 
その上でお話ししているのは、時間が無い、人手不足だから分かっていてもできないと即答する人ほど、では短い時間で、いかに効果的に指導しますか、いかに少数精鋭で売上を上げますかと尋ねると即答できないのです。
 
深く考えずに、「時間が無い、人手不足だから分かっていてもできない」という心根に問題があることを、あなたにも知って頂きたいのです。
なぜなら、一流と呼ばれない人は、深く考えない。そして、妥協がとても早い。業種問わず共通しているのです。
 
 
話を戻します。
 
いかに本質的なことを短い時間で教えなければならないかを例にしましょう。
例えば、「いらっしゃいませ」聞き慣れた接客言葉です。子供でも知っています。
 
ところが、なぜ言うのか、あるいは、なぜ言わなければならないのかを明確に答えて下さいと尋ねると、ありきたりな返答しかできない人が多くなります。
そもそも、なぜ挨拶をするのか。その理由を理解していない人が、昨今多くなっています。挨拶がいかに大事な行為かは、次の後編の講義でお話します。
 
本講義では、発話に2種類あることを先ず再確認してください。
 
一つは、音だけの言葉。
二つ目は、人の心に入る言葉。
 
お客さまには「いらっしゃいませ」と言って下さいと教えるだけでは、この2種類の違いに気づかないのです。
そのため、来店客に「いらっしゃいませ」と言っていても、目も合わせず、通りすがりに簡単に言う。こうしたことが、何の疑いもなくできるようになるのです。
 
これは、バッターボックスで闇雲にバットを振れば、ヒットが打てると考えているのと同じぐらい、おかしなことをしているのです。
 
もし、近所の人に挨拶する際、目も合わせず挨拶して、挨拶したことになるのかを考えれば、誰でも分かるはずなのです。ところが、サービス業になると、いい大人が分からなくなってしまっているのです。
 
それだけ、今のサービス業は、仕事に対する認識が低すぎるのです。
人の心に入る言葉で、「いらっしゃいませ」を言わなければ、お客さまの心に好印象記憶は残りません。お客さまに良い記憶が残らない店が繁盛することは、至難の業なのです。
 
あなたに、最初に考えて頂きたいのは、なぜ私が哲学編から始めているか。その理由です。
 
本質を無視して、形から入ることが、いかに的外れになるか。
それを改めて自覚して講義を受けて頂きたいのです。
 
昨今、本質を教える管理職や指導者がいなくなったことで、現場は悲惨な状態になっています。
 
人間扱いさえ受けていないと感じることが増えました。ロボットのように人を雇用することは必ず、その法人の運を弱くする。人徳を積む意識がない経営者や管理職には、一生分からない感覚です。
 
私は子供の頃から、サービス業は、他業種に比べ運が弱いと感じる会社が多いとみています。
 
法人の運の強さは、経営者の「自分以外の人間に対する考え方」によって差が生まれ、「他人に重きをおく生き方のレベル」で、結果的に運の強さが決まると感得しています。
 
当塾の創立動機の一つになった小嶋刀自のような人が、法人の運を強くできる経営者です。これは、理屈ではありません。他人のために考えるのが嫌い、他人の面倒見が嫌いで優秀だと言われる経営者を私は見聞きしたことがありません。
 
強運は、降り懸かるものではなく、生き方で創るもの。先人達の生き方から後進は学ばねばなりません。
 
せっかく、商人道義塾にお越しになり、講義を受けようと思われたのですから、是非深いところから人間を学びませんか。それが、商売にとって何より心強い支えになります。
 
 

それでは、本題に入ります。
 
人間という生き物を知ることが、なぜすべての始まりなのか。先ず、それを考えて下さい。
 
例えば、店頭で「不良品を買わされた。どうしてくれる?誠意を見せろ!店長出せ!」と、激高するお客さまがいるとします。
 
人間という生き物について考えたことのない人の応対は、相手が怒っていることだけに心が留まるのです。そのため、ただただ謝ることしかできない。そして、許して貰えないと収拾がつかない。
 
では、人間という生き物がいかなるもので、なぜ人は怒るのか。
この理由さえ分かっていれば、応対の方法も、話す順序も変わるのです。
そして、いかなる心理学のテクニックを使うよりも、最も良い形で円満に終わります。
 
人間を学んでいないために、円満解決できるレベルのクレーム応対でも、収拾できないのです。
 
自分の応対能力の低さを棚にあげ、本当は善良な人であるにも関わらず、単に激高しているだけの人を、クレーマーにしてしまうのです。
 
そして、何よりも恐ろしいことは、この世で最も怖いクレームを知らないまま、倒産閉店している店が、業種問わず実は多いのです。
 
だからこそ、人間を深く学ぶということは、気休めでも無く、きれい事でもありません。非常に現実的な話です。
 
 
それでは、私と一緒に人間という生き物を学んで行きましょう。
 
 
突然ですが、あなたは、いつから「あなた」に気づきましたか。
不思議な質問と思われるでしょうか。
 
最初にあなた自身の人生を振り返りながら、よくお考え下さい。
 
人間は、ふと気づくと、幼稚園や保育園に行って遊んでいる自分がいる。
ふと気づくと、ランドセルを買ってもらい、四月から小学校に行くと言われる。
 
また、ふと気づくと、中学生になり学生服を着て通い。しばらくすると受験し高校生になっている。ふと気づくと将来の夢が生まれ、大学に行こうか、就職しようかとなる。それから、またしばらくして、着物を渡され、今日から成人だと言われる。
 
ふと気づくと、そろそろ結婚しないのか。子供を作らないのかと言われ、余計なお世話だと思う。
 
全ての人が、自分が、なぜ女なのか、男なのか。なぜ、この人の子として生まれたのか。なぜ、今の時代に生まれたのか。はっきりとした理由を分かった上で、生まれてきません。
 
あなたも、そうではないですか。
 

誰しもが、生まれつき自分の存在が不明確で不確実なのです。
そのために、その不安を打ち消そうという本能が絶えず働いている。
それが、人間という生き物なのです。
 

 
自分が、今ここにいる理由を知らないで生きているからこそ、人間には不安が付きまとうのです。

「自分が、今ここにいる理由を知らない。」だからこそ、無意識に不安になる。
 
言葉を換えて言えば、自分が生きていて良い人間なのか、無駄な人間なのかすら、自分自身では判断できないのです。
 
 
そのため、
 

人間は、絶えず自分が、今ここにいて良い存在だという、納得できる理由を本能的に欲しながら生きています。

 
 
自分は、この親の子で良い存在なのだ。
自分は、この家族の一員で良い存在なのだ。
自分は、この人の下で働いていて良い人間なのだ。
自分は、この会社の一員で生きていて良い人間なのだ。
人間は、本能的に自分が生きる意味を絶えず欲しているのです。
 
 
裏を返せば、自分の存在する意味を見いだせない瞬間、それが、死に至る病。即ち自殺という病にかかる瞬間になるのです。
 
したがって、
人間にとって最も重要なことは、自分が生きていて良い人間なのだという実感を得ることなのです。
 
 
全ての人は、この実感を絶えず得られるように生きねばなりません。
それが、自分の人生の軌道を安寧に導く秘訣になるからであります。
 
そして大事なことは、自分の大切な人にこそ、自分は生きていて良い人間なのだという実感が持てるように仕向けていく。
特に、親、教師、経営者、教育担当者、人を導く人は、この本能が人間にあることを決して忘れてはなりません。
 
 
言い換えれば、生き甲斐を持たせてあげることが、我が子に限らず、大切な人を路頭に迷わせない術になります。
 

人間は、自分の生きる意味を見いだせない時に、人生がおかしくなる生き物なのです。

 
 
あなたが生まれて来なければ良かった。
あなたを生まなければ良かった。
あなたの代わりは幾らでもいる。
 
自分が存在する意味がないような言葉を言われることが、人間にとって最も辛いことになる。暴力以外でも人が殺せるといわれる理由は、ここです。
 
 
逆に、あなたが生まれてきてくれて良かった。あなたがいてくれて良かった。あなたの代わりはいないと言われることが、人間は最も嬉しいことになるのです。
 
 

人間は、他者から自分の存在を認められる瞬間に、最も大きな喜びを感じるようにできているのです。

 
 
人を正しい方向へ導こうと思う全ての人は、人間には、この本能があることを忘れてはなりません。また、人を速やかに成長させたいと思う全ての人は、この本能を利用することを、決して忘れてはなりません。
 
教える側が、あなたの代わりは、幾らでもいるという心根で、教えるからこそ、何年経っても、一人前になれない人が生まれるのです。
 

 

 経営者や指導者が人間を深く知ることの重要さとは何か

 
 
人が主体の商売は、全てにおいて人間の本能を利用することが重要であります。
 
人間の本能は、自分の存在する理由を欲しているとお話しました。
そして、もう一つ大事な本能があります。
 
それは、全ての人間は、自分という宇宙を表現するために生まれてくるのです。
 
自分しかない世界を体現しようとする本能。それが、自我の働きなのです。
自分の宇宙を表現する行動が、いわゆる個性を発揮するということになります。自分しかない宇宙を表現したいという欲求を利用することが、自主性を高め、成長の速度を上げる秘訣になります。
 
他人の自我の欲求を酌んであげるという感覚が分からないと、経営者、指導者の指導力は高まりません。
 
従業員に言われたことだけしていれば良いと業務命令することは、一見正しいように見えます。
 
しかし、自分の宇宙を表現したいという本能的な欲求がある人間に対して行うことは、実は危険なことだという認識が必要です。
 
なぜなら、個性や感性を発揮する必要はないという環境を与えると人間は、自主的に成長しなくなります。また、それだけに留まらず、生きる喜びも見いだせなくなるのです。これが労働意欲とも関係してくるのです。
 
だからこそ、アルバイトでも、パートタイマーでも、作業人としてだけ雇用することは、それだけで、人の存在意義を粗末に雇用していることになるのです。
 
現在、サービス業で管理部門にいる人は、この点に気づかなければなりません。気づかないから物を売ろうとする躍動を、どこで奪っているかさえ見えないのです。
 
販売不振の原因は商材ではなく、管理側の心根にある。あなたの会社は大丈夫でしょうか。
 
 

人間は、自分の宇宙を表現するために生まれて来る。
この本能を利用することが、自主性を高めることとなる。
これが、人を活かすという本意である。

 
 
自分の宇宙を表現するということが、本能だということが証拠となる事例をお話ししましょう。
 
彫刻家の故金子健二先生が、認知症の患者に画材を渡し、何の制約もない状態で絵を自由に描いてもらいました。ここで重要なことは、ルールを作らない。指示をしない。あくまで患者本人の自由に、表現させることです。
 
最初は、ぐちゃぐちゃの絵だったのが、個性を認めてあげることで、見る見る描き方が変わっていきました。認知症の人が描いたと言われなければ、分からないような絵画も生まれました。
 
そして認知症患者に、著しい改善が観られたのです。この試みは、非常に画期的な発見と言われ、東北福祉大学をはじめ複数の大学の研究科目となりました。現在、東京神田に日本臨床美術協会として残っています。
一般的な認知症患者のためのプログラムとなりますと、通常は認知症患者本人しか観ないと思います。

しかし、金子先生は違いました。
 
認知症患者を世話する家族が、いかに過酷なことか。それに、気づかない人では無かったのです。認知症患者は、単に物忘れをする人ということだけなら、家族も、それほど辛くはないのかも知れません。
 
ところが、物忘れだけでなく、暴力、罵詈雑言が凄い人が少なからずいるのです。それを知る金子先生は、「ここにいる時は、たとえ親でも、いなくなってほしい、亡くなってほしいと愚痴や弱音を吐いて良いんですよ。」と、不謹慎だと言うことは承知の上で、あえて家族に、声をかけました。言われた家族は、どれほど気が休まったかと思います。
 
金子先生は、追い詰められた人間にしか見えない景色が、この世にあることを知っていたのです。それだけ、人に対する造詣が深いだけでなく、誰に対しても心の優しい人でした。
 
食べ物も、洋服も、お金も、困っている人に分ければ、分けた人の分は必ず減る。ところが、分けても分けても減らないものが、この世にはある。減らないどころか、分ければ分けるほど、増えるものがある。それは「愛」だと、何の迷いも躊躇もなく、臆することもなく堂々と、三十代の若さで言いきれるのが、金子健二という御仁であり、私の敬愛する恩人であります。
 
金子先生は、三十年以上前から近所の子供達に絵を教えてきました。子供を、叱ること、怒ること、強制すること一切なく、ただただ個性を尊重し自由にしつつ、その子しかない感性を本気で褒める。ただ褒めるのではなく、本気で褒めるのです。
 
その結果、幼稚園の子供が、ミロや、カンディンスキーに引けを取らない絵を描き始め、小学生になるとピカソやシャガール顔負けの絵を描く子供が続出してきます。それらを知っていたからこそ、臨床美術も生まれたのです。
 
臨床美術は、偶然の発見でも、ふって湧いたアイデアでもありません。人の人生をある一定の期間眺めると、成功や発明に偶然はないことが分かります。
 
 

 
 


◆ 金子先生の活動に興味がある方はこちらの著書をご覧ください。臨床美術をゼロから立ち上げ日本臨床美術協会を作り後進を育てています。経営者としての手腕も発揮されました。
しかし、私は、経営者金子健二ではなく、彫刻家金子健二と呼んで差し上げたい。それが何よりのレクイエムと信じて・・・。
 
彫刻家 金子健二著書「改訂新版 臨床美術」 (日本語) 単行本 – 2007/3/12
 
◆ 多くの保護者の方々は、学習塾に比べたら、絵に興味がない。あるいは、うちの子供は絵の才能がないからと興味を持たない方も多いかもしれません。確かに芸大美大に進学するために絵を学ぶなら技術力も必要です。
しかし、現代は衛生面から砂場遊びをさせたくない。裸足になり泥だらけで転げ回ることに抵抗がある保護者の方が多いです。また昨今、子供が犯罪に巻き込まれるニュースの影響で、登下校の方法に自由が制限されています。その中で、子供の時にしか育むことのできない脳育ができない子が増えているように感じます。
学校の勉強も大事ですが、臭覚、触覚を鍛え、脳内のイメージング力を養うことも、社会に出て役に立ちます。 その上、正しいことで自我を顕示できていると、自己顕示欲が満たされるため、非行に走り、悪さをすることで無意識に自我を顕示するという行為をしないで済む様になるのです。
したがって、脳育の立場から子供に絵や粘土、陶芸をさせたいと思われたら、金子先生が開いた学校を検討してはいかがでしょうか。
家では絶対にできないことが思いっきりできます。学校では上手に描こうという雰囲気があります。しかし、絵や彫刻に上手下手は本来ないのです。自分の感情のまま作品を作り、自我を解放するということを味わわせると子供の可能性は大きく広がります。 なぜなら、社会人になっても、最後は想像力と、創造力で差が生まれているのですから。
 
幼児から、人生の大ベテランまで自由に、そして遠慮なく通える:浦和造形研究所 https://artslabo.com/
 
金子先生の名を残すギャラリー:ギャラリー健
 

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西日本の皆様には、アトリエぱお造形教育研究所が広島県にあります。浦和造形研究所で金子先生の全幅の信頼をえていた加藤先生が、現在営んでいる教室です。 子供から大人まで楽しめ、芸大美大合格を志す高校生も通えます。
 
因みに正式なピアノも習えます。ピアノを教える溝尻先生を、初めてお目にかかったのは、私が十代の頃です。
御本人の承諾無く子細を語るのは無礼のため、言葉を選びます。溝尻先生の手を拝見した時、子供ながらに、人知れずする努力とは、こういうことを言うのか。そう感じたことを今も覚えています。私はピアノのことは分かりませんが、溝尻先生から学ぶこと尊いと感じます。
私は仕事柄、様々な分野の一流を拝見します。一流と二流という表現を好むわけではありませんが、分かりやすいために、あえて一流と言います。一流は、職種問わず共通して自分が日々していることが努力だと気づかない。自覚している努力は、努力の内に入らない。体得を必要とするものは、熱中状態で初めて身になるもの。これが、どの世界でも抜きに出る人の共通の意識です。良くも悪くも努力は、自覚した瞬間から苦役になる。これが、二流三流と言われる者に不平不満が多い理由なのです。
こうした経験から、溝尻先生にピアノを習うことは尊いと感じるのです。
 
さらに、アトリエぱお は、絵画教室と一概に言えません。その理由に、ロボット教室があります。興味のある方は、是非体験会から参加されてはいかがでしょうか。コンピュータは、アルファベットで動く機械です。したがって、人工知能発展の時代になっても米国有利は続きます。しかしロボットなら、世界一が望めます。それを証明する人が広島から誕生するのも、けっして夢ではありません。
 
代表の加藤先生の若い頃を存じていますが、芸術家とは思えない論理的で、議論好き、そして生徒の作品を見るときは顎に手をそえ眺め、真剣に見れば見るほど前屈みになるイメージがあります。
ただ最も印象深いことは、目が合うと必ず笑顔になられる。ご自身は無意識にされているのかも知れませんが、笑った顔しか記憶に残っていません。人には喜怒哀楽があるにもかかわらず、つくづく凄いことだと思います。
 
芸術を学ぶことだけでも良いことだと思いますが、子供の頃に加藤先生のような大人がいるということを知ること自体が、情操教育になると自信を持ってお薦めできます。
  
アトリエぱお造形教育研究所  https://a-pao.com/    
アトリエぱお

 

 

 
 
あなたにも、改めて感じて頂きたい。
 
子育ても、社員教育も、その人その人が持っている個性や感性を発揮できない場を与えることは、決して教育でも指導でもないということです。
 
全ての人は、皆それぞれ宇宙をもって生まれてくる。そして、自分の宇宙が、他者の宇宙と交わり共鳴し、他者から認められた時に、生きる喜びが生じます。この喜びが生じて心の底から、この世に生まれてきて良かったと思えるのです。それが、人間という生き物です。
 
講義の最後に改めてお話します。
 
人間は誰しも自分という存在理由が、不明確だということ、先ずこれを理解することが大事です。
 
自分の存在自体が不明確だからこそ人は、自分は生きていて良い人間だという実感を無意識に欲するのです。
 
誰しもが、無意識に少しでも確実な存在になりたいと欲求するのです。これが、主体性の元であり、自己顕示欲の源なのです。
 
人を活かすためには、主体性発揮欲や、自己顕示欲を酌んで上げることを先にすることだと。この点さえ分かれば、やる気も活気も、どこから生まれるかが分かります。
 
そして、相手の感情を酌むという意識があれば、眼前で激高しているお客さまのクレーム応対も円満解決に導きやすくなるのです。
 
今、相手のどの感情を酌む必要があるのか。これが、接客時に必要な意識になるのです。
 
サービス業は、人間主体の仕事です。だからこそ、人を深く学ぶ。人間という生き物を知ることが接客だけでなく、社員教育、人事考課、経営戦略すべての始まりと言う理由であります。
 
以上、講義を終わります。LinkIconそれでは、後編へ続きます。
 
 
 
 
 
 

人間という生き物は、
自分の存在理由を知らずに誕生し、入滅する。
だからこそ、無意識に生きる理由を欲しながら生きる。
自分の生きる理由を実感している間は、不安が消える。
自分の存在に喜びを感じている間は、死を選ばない。
 
あなたは、人に生きる理由を実感させていますか。
あなたは、人にこの世で存在する喜びを与えていますか。
 
あなたが、この世にいることで、他の人が生まれて良かったと思える。
これが本当の人助けであり、人を活かすと言うことなのです。

 
 
 
 

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